AIは使い方ではなく「とらえ方」で価値が決まる ライフサイエンス領域に見るビジネス変革の本質
AIは使い方ではなく「とらえ方」で価値が決まる ライフサイエンス領域に見るビジネス変革の本質

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2026年4月23日

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〜決断する人のAI〜
AIは使い方ではなく「とらえ方」で価値が決まる
ライフサイエンス領域に見るビジネス変革の本質

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AIを導入しても、すべての企業が期待通りの結果を得られるわけではない。技術力以上に、AIの位置づけと、その先に人が担うべき役割の明確化が、その差を生む。AI研究者 今井翔太、製薬業界のDXを牽引する中外製薬 鈴木貴雄、そして企業の変革支援を行うPwCコンサルティングの大森 健の対話から、ライフサイエンス領域におけるAI活用の本質的価値を探る。

効率化の先にある、ミッションクリティカルなAI活用へのシフト

――まず、今井先生にお伺いします。AI研究の最前線に立ちながら、サイエンス領域の変革にも深く精通されていますが、この領域におけるAI活用の現在地をどのように見ていらっしゃいますか。

今井翔太(以下、今井):ライフサイエンスの分野で極めて大きな転換点となったのは、2020年代前半に登場した「アルファフォールド2」です。これは、アミノ酸の配列(一次構造)から、タンパク質がどのような3次元のかたち(立体構造)になるのかを予測するAIです。タンパク質の立体構造を解明することは、病気の原因特定や新薬の開発において非常に重要なプロセスですが、かつては膨大な時間と労力を要する研究の最難関のひとつでした。この課題をAIが解決したことは、後にノーベル賞を受賞するほど画地的な出来事であり、ライフサイエンスにおけるAI活用のコアとなりました。

今井:現在のトレンドは、そこからさらに一歩踏み込んでいます。以前のAI活用は研究の特定部分にとどまっていましたが、現在は研究という非常に長いプロセス全体、あるいはその相当部分を自動化しようとする動きが加速しています。実際に、新型コロナウイルスに関連する特殊な抗体の特定においてAIを活用したプロセスが成果を上げており、自動化は着実に実用化のフェーズへと向かっています。

ただし、すべてがデジタル空間で完結するわけではありません。ライフサイエンスには、実際に試験管や細胞を扱う「ウェット実験」と呼ばれる物理的なプロセスが不可欠です。AI活用の現在地としては、この実験以外、例えば、膨大なデータ分析や新たな仮説の生成、さらには論文執筆の補助といった論理的・記述的なプロセスなどをいかにAIで自動化し、研究のスピードを極大化できるか、という挑戦の最中にあるといえます。

GenesisAI代表取締役社長 CEO北陸先端科学技術大学院大学(JAIST)客員教授
今井 翔太

――中外製薬は、テクノロジーを積極的に取り入れている企業として知られていますが、製薬業界ではAIはどのように活用されているのでしょうか。

鈴木貴雄(以下、鈴木):一般的にあまり知られてないかもしれませんが、ひとつの化合物が薬として患者さんの手元に届くには、おおよそ9年から16年という気の遠くなるような時間がかかります。はじめに「これだ」といえる候補を見つけるだけでも3年。そこから動物実験や臨床試験を経て、ようやく世に出る。なぜこれほど時間がかかるのか。それは、薬には効くこと以上に、安全であることが絶対条件として求められるからです。このプロセスは、私たちが薬を扱う以上、決して避けては通れない、厳然として存在するステップなのです。

一方で、この気の遠くなるような時間を大きく縮める可能性を秘めているのがAIです。特に化合物の探索において、AIの強みは圧倒的です。私たち人間は24時間365日働くことはできませんが、機械は24時間稼働でき、探索の効率を大幅に高められます。AIという強力なパートナーを活用することで、今まで見ていた化合物の数の、それこそ桁違いの候補を効率的に探索できる。

さらに、これからの薬は、「病気に対してひとつ」という画一的なものから、その人のタイプに合わせる「個別化医療」へとシフトしていきます。製造業の言葉を借りれば、まさに少量多品種生産の世界です。管理は一気に複雑になりますが、そこでAIの力を借りることで、一人ひとりの患者さんに適した治療の選択を支援し、適正使用や安全性の確保に貢献していくことができる可能性がある。薬を細分化し、質を極限まで高めていくために、AIは不可欠な存在となっています。

――PwCはコンサルタントという立場から多くの企業とかかわっていらっしゃると思いますが、今、ビジネスの現場はAIによってどのように変化しているのでしょうか。

大森 健(以下、大森):これまでのテクノロジーは、「1+1を2にする」ように画一的な答えを求める計算は得意でした。しかし、生成AIの登場によって、ビジネスは決定的な転換点を迎えています。例えば、マーケット調査のように、観点によって答えがひとつに定まらない、画一的な正解がない領域にまでテクノロジーが踏み込めるようになった。テクノロジーに詳しくない経営層の方々も、「今まで考えもしなかった価値を生むのではないか」という期待を抱き始めている。こうした動きは、AIが“決断する人のAI”として、経営の判断そのものを支える段階に入ってきたことを示しており、これが一番の大きな変化だと感じています。

では、現在のAIの立ち位置はどこにあるのか。創薬の根本に関わるような本質的な取り組みも進んでいますが、実利の面で言えば、やはり業務の効率化のフェーズだと考えます。鈴木さんもおっしゃる通り、新しいシーズ(種)を生み出すことだけがAIの役割ではありません。今、あらゆるビジネスプロセスには多くの人が介在していますが、そのなかには、本来必ずしも研究者が行わなくてもいい業務や、アセットにならない繰り返し作業が多くあります。こうした人の介在を最小化し、業務プロセスを半分、あるいは70%にまで凝縮していく。そのようにして生まれた余白で、人間がより本質的な創造に集中する。そんなトライアンドエラーが、今まさに各所で起きているのだと思います。

今井先生や鈴木さんがお話しされたように、AIの可能性は広がり、実際に果敢なチャレンジが始まっています。ただ、ビジネスの現場には特有の難しさがあります。それは、技術的に「実現可能」なことと、ビジネスとして「今すぐ成果が欲しい」ことの間に潜むギャップです。例えば、創薬におけるAI活用は素晴らしい成果をもたらしますが、実を結ぶのは5年、10年先です。一方で、経営陣が求めているのは、もう少し直近の短期的な成果。この経営判断と技術的な可能性のズレをどう埋めていくかが、今の経営者の大きな課題になっています。

熟練者の思考ロジックに基づく企業独自のデータが、競争力となる

今井:AI活用の現在地を語るうえで、研究と実際の業務や組織にAIを導入・運用する実装現場との乖離が生じている点も見過ごせません。研究者が論文で「AIでこれが実現できる」と発表しても、実社会の導入フェーズではその95%が失敗に終わっているという衝撃的なデータもある。これほどのギャップが生まれる背景にあるのは、AIが将棋や囲碁のように、ルールと評価基準が明確な世界で力を発揮してきたという前提があります。一方で人間社会は、言語化できないふわっとした基準や感情的なプロセスで動いている。この不条理な現実世界にAIをどう適応させるかというフィードバックループを構築していくことが、今まさに研究者である我々が直面している壁ですね。

大森:その壁は、経営陣が求める時間軸とのズレにもあります。先ほど申し上げた通り、AIによる創薬の成功は10年先ですが、経営は四半期ごとの成果を求めます。そのようななかで、注目すべきはデータの質の変化です。現在、インターネット上の公開データはAIにインプットされつつあり、データの拡充という観点でAIの深化は飽和しつつある。だからこそ、今後はネットには落ちていない企業独自のクローズドなデータをどれだけもっているかが、企業の競争力に直結すると考えています。

中外製薬 参与
デジタルトランスフォーメーションユニット長
鈴木 貴雄

鈴木:おっしゃる通り、これからの勝ち筋は、自分たちのドメインデータをどう差別化要素としてAIに組み込むか、にかかっています。弊社でも試行錯誤を繰り返していますが、興味深い発見がありました。AIにただ大量のデータを無作為に与えても、トップ研究者の暗黙知には到底及ばないのです。そこで今取り組んでいるのが、AIが研究者に「なぜその判断をしたのか」を問い、対話を通じて熟練者の思考ロジックを引き出すという試みです。

また、経営の観点ではポートフォリオマネジメントの再定義が不可欠です。創薬のような長期スパンの投資と、デジタル特有の超短期プロジェクト。この質の異なる二つの時間軸を同時にマネージし、ROI(投資利益率)を追う部分と、ディスラプト(破壊的変化)に対抗できるイノベーションへの投資を峻別する。うまくいかないケースも、結果の検証だけでなく、撤退判断を迅速に行いながら「失敗」の知見を蓄積していく。このアジャイルな意思決定こそが、AI時代のリーダーに求められる唯一のミッションだと確信しています。

現場の試行錯誤から組織全体の価値が生み出される

――中外製薬では、すでに全社員の9割がAIを活用していると伺いました。効率化を超えた、より創造的な価値はどこで生まれているのでしょうか。

鈴木:現在、社員の約90%が何らかのかたちでほぼ毎日AIに触れている状況です。弊社では「AI Everyday」「AI Everywhere」「AI Transformation」という3つの戦略を掲げていますが、決して会社が一方的にツールを押しつけたわけではありません。

例として、現場のMR(医薬情報担当者)たちが自発的に始めた使い方が、大きな価値を生みはじめています。MRの役割は薬の説明に留まりません。病院経営の悩みや患者さんとのコミュニケーションなど、いわば「コンサルタント」のような高度な対人スキルが求められます。中外製薬ではMRたちが、訪問前にAIを相手にコミュニケーションの壁打ちをして、シミュレーションを繰り返すような事例も出てきています。特別なシステム開発を待つのではなく、既存のツールをどう使いこなすかという現場の工夫が、大きな価値を生んでいます。

今井:それは非常に良い事例ですね。実は「AIで何を自動化し、何を自動化しないか」の境界線を、人類は今まさに探っている状態です。

例えば、営業活動そのものをAIに代行させると、多くの場合で批判の声が上がるほど強い嫌悪感を買ってしまいます。人間は「AIから物を買いたい」とはまだ思えない。しかし、営業で相手に対面する一歩手前で自分の思考を研ぎ澄ますためにAIを使う。人間ならではの役割を補強するこのような使い方は、まさにAI活用の正解のひとつだと言えます。

大森:マーケティングの歴史を振り返ると、かつては統計的な「群」として人をとらえていましたが、今はAIによって、MR側と医師側それぞれの特性を踏まえたテーラーメイドの「対話」が可能になっています。中外製薬さんのような活用方法は、利用する側の工夫によって価値の出し方が変わるフェーズに入っていることを実感できますね。

先ほど今井先生がおっしゃったAIに対する拒否反応というお話ですが、今は拒否反応があることでも、デジタルネイティブな若い世代が大人になったときには、「営業はAIがするものではなく、人間がするものなの?」という疑問が当たり前になるような、デジタルに対する認識自体が変わってくる可能性はないでしょうか。

PwCコンサルティング
執行役員 パートナー
大森 健

今井:それは非常に難しい、かつ重要な問題です。確かに、かつてはAIがつくった芸術に嫌悪感を抱く人が多かったのが、今ではAI作品をあえて探す人たちも出てきています。ただ、介護のように気持ちの問題で嫌がられていたものは時間が解決するかもしれませんが、過剰な自動化による人間側のキャパシティオーバーのような問題は、時間が経っても人間が担い続けることになる。営業活動も、その類かもしれません。

鈴木:現場の試行錯誤を日常に落とし込み、文化として定着させるには、経営側の覚悟が必要です。中外製薬では、業務継続上重要なIT基盤の一つとして、かつて「止めてはいけないシステム」の1位はメールでしたが、今はAIです。このような背景もあり、当社では、社長自らが若手から学ぶ「リバースメンタリング制度」を導入しました。トップの認識が変われば、組織全体が変化していく。こうした姿勢を仕組みにして、カルチャーをつくるところまでもっていく。これを徹底的にやり抜くことで、企業としての真のROI(投資利益率)、そして持続的な成長が見えてくるのだと考えています。

後編に続く

今井 翔太

GenesisAI代表取締役社長 CEO。北陸先端科学技術大学院大学(JAIST)客員教授。文部科学省の「AI for Science」推進にも深く関わるAI研究の第一人者として活躍。

鈴木 貴雄

中外製薬 参与 デジタルトランスフォーメーションユニット長。NTTコミュニケーションズ、マイクロソフトを経て、中外製薬に入社。2024年より現職。

大森 健

PwCコンサルティング 執行役員 パートナー。米国系コンサルティングファームを経て現職。20年以上のコンサルタント経験を活かし、数多くの日本企業のDX戦略立案、組織変革支援をリードする。

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