私は3月1日、Forbes 30/50サミットに出席するためアブダビへ飛ぶはずだった。国際女性デーに合わせて開催されるこの年次イベントには、30カ国以上から女性リーダーが集う。ところが出発の2日前、米国とイスラエルが共同でイランを攻撃した。イランは湾岸一帯に報復し、空域は閉鎖された。私の旅は、数千人の旅とともに、無期限で停止となった。
私はしばらく、そのことを受け止めていた。物流ではない。感情だ。戦争が始まったことで予定が溶けるように消えていくのを見つめる、あの特有の目眩。そこから私は、そうした感覚に立ち止まる余地のない人々のことを考えた。月曜に出社し、同じような混乱を抱えたまま働く人々だ。整理する枠組みもなく、誰からも「大丈夫か」と問われず、そして「最近、正直きつい」と口にしても安全なのかどうかも分からないまま。
いま多くのチームは、もはや無視できない種類の「環境ストレス」のなかで動いている。中東では戦争が進行し、報復攻撃は民間空港や航路にも及んでいる。移民の取締りに関する連邦の執行作戦は、学校や企業、地域の日常生活を揺さぶっている。経済の不確実性も重なり続ける。多くの人にとって、ニュースはもはや背景の雑音ではない。太鼓の連打のように感じられ、そのままデスクまでついてくる。
これは政策を論じたり、政治的立場を明確にしたりする話ではない。高ストレス環境におけるリーダーシップの話である。不確実性を感じるとき、信頼は積み上がるか、崩れるかのどちらかだ。中立はない。
ストレスは文化を「繰り返しゲーム」に変える
行動科学では、脅威は注意の幅を狭めるとされる。人は機会を探すのをやめ、危険を探し始める。「ここで私は安全か」「評価されるのか」「守られるのか」。曖昧さは中立ではなくリスクに感じられるようになり、認識されるリスクが高まると、協調は崩壊する。
政治学者のロバート・アクセルロッドは、繰り返される相互作用では、戦略が明確で一貫し、互恵的であるときに協力が繁栄することを示した。仕事は「繰り返しゲーム」だ。運用が一貫しない、守られ方が選別的だ、あるいは誰が会議室にいるかで暗黙のルールが変わる、と人々が感じれば、合理的な選択は自己防衛になる。不忠だからではない。注意深いからだ。リーダーの仕事は、ルールを信頼に足るものにすることである。これは組織レベルのソフトパワーだ。力で動かすのではなく、信頼という確かな設計によって行動を形づくる。
政治色を帯びずに安定を築く5つの打ち手
ここで述べることは、個人情報の開示やニュースをめぐる議論を誰かに求めるものではない。健全な成果が可能になる条件、すなわち明確さ、尊厳、一貫性を整えることにある。
トーンを設定する。ぶれないメッセージをひとつ定め、文化の錨になるまで繰り返す。「職場の外で起きていることはコントロールできない。しかし、ここで互いをどう扱うかはコントロールできる。私たちの基準は毎日、尊厳、プライバシー、敬意である」。そして言葉を運用に落とし込む。従業員がカウンセリング資源、人事への導線、柔軟な働き方の選択肢にアクセスできる、明確で見つけやすい場所を1つ作る。ストレス下で必要なのは情報の増量ではない。より少なく、より明確な道筋である。
負荷がかかっている前提で設計する。最高の状態の人間ではなく、荷重のかかった人間を前提に組み立てる。紛争地域に家族がいる従業員もいれば、地域での取締りの重さに向き合っている従業員もいる。新たな軍事的関与を、特有の恐怖とともに見つめている退役軍人もいる。だが大半は、そうしたことをあなたに語らない。チームレベルでの簡単な許可が、状況を一変させることがある。「今週、70%ならそう言っていい。詳細は不要だ。優先順位を調整しよう」。この短い台本は羞恥を減らす。そして羞恥は、チームを内向きに変える最速の要因のひとつだ。
強い規範で帰属意識を守る。取締りが見出しを飾るとき、職場で誰かが同僚の立場を憶測するだろうか。戦争がニュースを席巻するとき、誰かが同僚の背景について不用意な発言をするだろうか。譲れない規範を3つ、交渉不可として明文化する。誰かの個人的状況についての噂や憶測をしない。アイデンティティ、訛り、出自、家族事情などで人を名指しにするような標的化や「冗談」をしない。同意なく、同僚が自発的に語っていない私的情報を言わせようとする強制的な好奇心を持ち込まない。マネジャーには一文を渡す。「ここでは同僚のことをそういうふうに話さない」。大声でなくていい。懲罰的でなくていい。即時で、明確であることだ。
管理職には美辞麗句ではなく台本を渡す。多くの管理職が固まるのは、間違ったことを言うのが怖いからだ。言葉を用意する。「詳細を話す必要はない。どんな支援が役に立つだろうか」。あるいは「個人的なことには助言できないが、助言できる人につなぐことはできる」。支援の場はオプトインにする。支援と監視の差は、同意にある。
静かなプロトコルで曖昧さを減らす。どの従業員情報が機密で、誰がアクセスできるのか。安全でないと感じたとき、どこに懸念を上げるのか。職場で深刻な海外ニュースを受け取った従業員がいるとき、何が起きるのか。プロトコルがあるのか、それとも全員がその場しのぎで対応するのか。これは政治ではない。ガバナンスである。そしてガバナンス――予測可能で、退屈で、深く安心させる「物事がどう動くか」の設計――こそが文化だ。
寛容で、しかし毅然と
持続的な圧力のもとでも耐える単一の戦略がほしいなら、「繰り返しゲーム理論」の最良の論理を借りればよい。寛容で、しかし毅然と。善意を前提にしつつ、修正は素早く行う。支援は提供するが、開示は強要しない。柔軟性はつくるが、基準は見える形で保つ。
目的は恐怖を消し去ることではない。理不尽な状況に対し、恐怖は合理的な反応である。目的は、恐怖がチームを動かすようにしないことだ。誰が発言し、誰が引き、誰が静かに出口を探し始めるのかを決める「見えないOS」にならないようにすることである。
文化はオフサイトで築かれるのではない。戦争が始まった週の定例ミーティングで築かれる。そこで同僚は、この場所が自分たちから搾取する場なのか、それとも自分たちを落ち着かせる場なのかを知る。
安定はリーダーシップである。明確さは思いやりである。そして規範によって守られる帰属意識――スローガンではなく規範で守られるもの――こそ、組織が持つ最強のソフトパワーである。



