一方で営業部門は別の戸惑いを抱えていた。「誰に、どう売ればいいのか」。数百円のボールペンを文具店や量販店に並べてきた販売網で、どうやって5万円超の商品を適切に届ければ良いのか……。従来とはまったく異なる売り方、伝え方、そして顧客との関係構築が必要になる。
石川はこの混乱を、むしろ歓迎していた。
コスト削減の正反対にある世界
筆記具メーカーの日常とは、いかに効率よく品質を維持しながらコストを抑えるかという戦いだ。ほんの少しの工夫。その積み重ねが、100円台のボールペンを安定的に供給する基盤を支えている。
THE ZEBRAの開発は、この日常の正反対に位置する。コストを削る代わりに、いかに満足感を高めるかにフォーカスする。作り手にとって、それは解放であると同時に、試練でもあったはずだ。
石川に、このボールペンを起点として顧客とゼブラの関係性を構築するD2Cモデルやコミュニティ構築のビジョンがあるのかと尋ねると、意外なほどシンプルな答えが返ってきた。
「そうしたビジネスモデルの実験場というよりも、シンプルに長く私たちの作品を長く愛用していただきたいという一点です」
万年筆には、何十年も手入れをしながら使い続ける文化がある。ボールペンにはそれがなかった。モデルチェンジで旧製品が廃盤になり、気に入っていたリフィルが手に入らなくなる。石川はその構造に疑問を持っていた。ボディは変わらず、中のリフィルだけが技術革新とともに進化していく。130年後にも同じTHE ZEBRAを使い続けている人がいる──そんな未来を本気で描いているのだ。
鋼ペン先からボールペンへ──チャレンジのDNA
実はゼブラの歴史を紐解くと、130年の安定とは程遠い、転換の連続が浮かび上がる。
創業者はエンジニアだった。後に手描き時代の漫画家がこぞって使うことになる鋼ペン先の国産化を日本で初めて成功し、「ものづくりでお国に奉仕したい」という理念で会社を興した。2代目の祖父の時代、鋼ペン先のシェアは6割に達し、日本に同業者は3社しかなかった。
しかし「ペン先だけ作っていれば100年は安泰だ」という声を、祖父は退けた。ヨーロッパから設備を買い付け、莫大な投資をして国産ボールペンの製造に乗り出す。同じ「書く」「描く」の延長線上ではあるが、事業構造としてはまったくの別物だった。
3代目の父は、国内専業だったゼブラを海外に押し出した。25年の在任期間で海外比率を劇的に引き上げ、かつて3割程度だった海外売上は、現在では6割を超えるまでに成長している。


