所属と同調の違い
所属とは、自分にとって本質的な側面を抑え込むことなく受け入れられている状態を意味する。同調とは、支配的な期待に合わせるために表明する見解を調整することである。
この違いは微妙だが重要である。
インクルージョンの取り組みが共通言語や目に見える足並みを強調すると、従業員は内面で十分に咀嚼する前に公の場で立場を採るよう圧力を感じることがある。外向きの賛同は、内側の不確かさを覆い隠す。
表面的な調和は増える。知的摩擦は減る。だが、その摩擦はインクルージョンへの脅威ではない。むしろ、人々がそれについて真剣に考えていることのしるしである場合が多い。
解決策は、インクルージョンを薄めることではない。決してそうではない。異議に耐えられるほど強靭にし、不快感を許容できるほど自信を持たせ、意見の不一致を裏切りではなく、人々が正直に語れるだけの安全を感じている証拠として扱えるほど成熟させることだ。
リーダーは、原則と方針を分けて考えることから始められる。原則は譲れない場合がある。一方で、方針や実行戦略は問い直しに開かれているべきである。
価値観へのコミットメントを再確認しつつ、アプローチへの批評を明確に招くことは、正直に話すことの社会的コストを下げる。方法への異論は、価値への異論と同義ではないと示すことになる。
リーダーは知的謙虚さを示すことも(そして示すべきでも)ある。継ぎ目のない確信を提示するのではなく、複雑さに公然と向き合う姿勢を見せると、他者も恐れずにニュアンスを探れる余地が生まれる。
真のインクルージョンには、不快感への耐性が必要である。不快感がすべて害を示すわけではない。成長を示す不快感もある。
結局のところ、インクルージョンは発言の機会に関わる。そして発言には反対意見も含まれる。インクルージョンを一様な同意と同一視する組織は、懐疑が烙印を押され、複雑さが平板化されるという新たな排除を再生産するリスクを負う。
最もインクルーシブな職場とは、緊張がない場所ではない。緊張が生じても、所属意識が脅かされずに表面化できる場所である。
インクルージョンが、異議を抑え込むのではなく意見の不一致のための空間をつくるとき、それは強靭になる。たとえ意図せずとも批評を思いとどまらせるとき、広げようとしている参加そのものを狭めてしまう。そして何より、インクルージョンが約束を果たすのは、全員が同意したときではなく、全員が発言できるときである。


