私たちは認知を研ぎ澄まし、意思決定を強化し、不確実性の下でも行動する真の力を培うことができる。それでもなお、誤った方向を指すシステムの流れに引き戻されてしまうことがある。リーダー個人のスキルが高まっても、必ずしも組織の成果が良くなるとは限らない。時には、進路を外れて漂うボートで、ただ必死にオールを漕いでいるだけということもある。
私の前回の「可能性思考」に関する記事では、2つに焦点を当てた。1つは注意(attention)であり、開口部を知覚するための鍛錬だ。もう1つは主体性(agency)であり、情報が不完全でも次の一歩を踏み出す意思である。どちらも実在する能力であり、どちらも重要だ。しかし、いずれも多くのリーダーシップ開発プログラムが認めない「天井」にぶつかる。その天井を破るのは、個人のスキルをさらに積み上げることではない。集合知(collective intelligence)である。集団がパターンを知覚し、選択肢を生み、共に適応する能力が高まることだ。
最も豊かな可能性は、個人の知覚だけから生まれるわけではない。集団が共に考えるとき、異なる視点がぶつかり合い、組み合わさるとき、そして「共有の確信」を求めずに「共有の方向性」をつくり出すときに立ち現れる。これは企業用語としての「コラボレーション」ではない。理念文に出てくる心地よい抽象概念とは別物だ。より具体的で、より難しいもの、すなわち「協調された創発(coordinated emergence)」である。音楽がまだ書かれている最中に、アンサンブルとして動く力だ。
個人の可能性思考が天井にぶつかる理由
どれほど洞察力のある個人リーダーであっても限界があることを考えてみてほしい。あなたは、いまの物語に合わない何かに気づく。心地よい合意を揺さぶる問いを投げかける。新たな選択肢を明らかにする一歩を踏み出す。これらはすべて重要だ。しかし視野は、あなた自身の立ち位置、経験、前提によってなお制約される。これが最初の制約である。知覚は部分的にしかなり得ない。
2つ目の制約はシステム的なものであり、こちらの方が語られる機会が少ない。組織は複雑適応系のように振る舞う。無数の相互作用から全体の挙動が立ち上がる、生きたネットワークである。時間がたつにつれ、こうしたシステムは方向性を形成する。向かう先であり、「何が重要で何が重要ではないか」という前提の束である。個人は自覚の有無にかかわらず、その方向性に同調しがちだ。
システムダイナミクスの研究は、こうしたシステムがどのように機能するかについて、受け入れがたい事実を示唆する。強化フィードバックループが、システムがすでに向かっている方向を増幅するのだ。組織が誤ったコースにあるとき、個人の主体性が高まっても、その軌道をより速く進むだけである。
逆の側面も同じくらい厳しい。システムが整合した努力を増幅するなら、孤立した逸脱には抵抗もする。私は「振る舞いは純粋に創発であり、個人は独立した影響力を持たない」という最も強い主張を受け入れない。それは決定論的すぎる。人はシステムに影響を与える。逆方向だけではない。だが、システムには構造的な慣性がある。定着した組織の進路を変えようとしたことのあるリーダーなら誰でも、その惰性を一人で乗り越えることがどれほど難しいかを知っている。新しい方向へ突進しても、古い流れに引き戻されてしまうことがある。
では、何が突破口になるのか。システムの中のより多くの人を活性化し、より多くの部分を巻き込むことである。だからこそ、つながりは可能性思考にとって単なる「付け足し」ではない。可能性思考が実際に地に足をつける場所こそ、つながりなのだ。
カール・ワイクは、私が以前にも書いた「センスメイキング」に関する研究で、次の点を明確にしている。複雑な環境では、単一の視点で全体を理解することはできない。ワイクが主張した複雑性への最良の応答は「組織化された複雑性(organized complexity)」、すなわち多様で、部分的に結びついた応答であり、それが学習と適応を可能にするというものだった。「隣接可能(adjacent possible)」、つまり動くことで見えてくる次の一手の選択肢の集合は、より多くの頭脳が注意を払うほど劇的に広がる。
センスメイキングに当てはまることは、可能性思考にも当てはまる。すべての開口部を知覚し、すべての主体性を維持し、すべての一歩を一人で担おうとするリーダーは、疲弊する一方で、本当に利用可能なものの大半を取り逃がすだろう。
集合知から協調された創発へ
可能性思考における「つながり」は、調和や同意のことではない。同時に3つが起きることだ。
共に見る。共有された方向性と、共有された知覚である。共有された答えではなく、共有された方向であり、いま何が起きているかに訓練された複数の目が向けられている状態だ。組織生活をどう捉えるかに影響を与えてきたコミュニティづくりの研究者ピーター・ブロックは、これを「可能性の会話(the possibility conversation)」と呼ぶ。誰かに指示される未来ではなく、人々が共に創り出している未来へと人々を整列させることだ。これにより、参加者はそれぞれのレンズを通して地平線を探る自由を得る。ある人は矛盾を見る。別の人はつながりを見る。3人目は、支配的な物語に合わない何かに気づく。集合的な注意の場は、どの個人にも抱えきれないほど遠くまで拡張する。
共に動き、共に学ぶ。共同実験と学習ループである。完全な調整を待つのではなく、小さな実験を並行して走らせる。スティーブン・ジョンソンが言う「リキッド・ネットワーク(liquid network)」、すなわち未完成のアイデアがぶつかり合い、組み合わさる場である。そしてこう問う。「何を試したか」「何が起きたか」「先週は知らなかった何を、いま知っているか」。個人としてではなく、集団として更新していく鍛錬だ。
全面合意なしに行動する。これが最も難しい部分かもしれない。創発は合意形成に従わない。どこへ向かう動きなのかについて異なる見方を持ちながらも、共に動けるだけの信頼を集団が育てるとき、可能性に触れられる。演出家アン・ボガートはアンサンブルの実践について、「活力は制約、応答性、協調、共有された技能から生まれる」と書いている。集団が即興する力は、共通の規律と、互いへの持続的な注意によって、時間をかけて獲得される。
アンサンブルの集合知を解き放つ
緊急の戦略課題が生じ、リーダーシップチームが招集される。彼らは真にセンスメイキングを行う。異なる視点が表に出る。前提が揺さぶられる。会議の終わりには、よりニュアンスのある理解が形づくられている。
その後、微妙なことが起きる。グループはこう言う。「問題を理解したのだから、誰か1人がこれを持ち帰って、計画案を作ってきてほしい」
その1人は調査を集め、選択肢を検討し、思慮深く、創造的で、具体的な方向性を持ち帰る。チームは再び集まる。議論は活気がある。人々はリスクを測り、前提を磨き、批評を加える。1時間の終わりには、グループは前進する道筋に足並みをそろえている。
協働しているように感じられる。厳密であるように感じられる。
しかし、統合を1つの頭脳に移すことが、会話の境界を静かに定めてしまう点に注目してほしい。反対意見でさえ、提示された解決策との関係で形づくられる。集団が探究し得る前に、可能性の場が狭まってしまうのだ。
ここで同じ状況を想像してほしい。ただし今度は、計画に反応するのではなく、隣接可能を検討するためにチームが再招集される。彼らは主体性の範囲、つまり何に影響を及ぼせるのか、どこに動ける余地があるのかを考える。いま行われていることの境界に注意を向け、次に何が来得るのかを探す。
それはより遅い。より散らかる。沈黙が伸びる瞬間もある。だが問いは次第に研ぎ澄まされていく。「理論を検証するのに役立つ小さな実験には何があるか」「進捗しているとどうやって分かるのか」「私たちは何を避けていて、それがどう視野を制限しているのか」
誰も答えを持たない。だが複数の人が注意を払っており、部分的な知覚が結びつき始める。顧客のフィードバックにあるパターンから、思いがけない開口部を示唆する人がいる。別の人は、組織の別の部分にある能力とのつながりを見る。3人目は、全員が暗黙のうちに前提としてきた仮定を言語化し、選択肢が広がる。
これが協調された創発である。集団が共に知覚し、共に一歩を踏み出し、その一歩が、誰1人として単独では見えなかった可能性を明らかにする。
ロン・ハイフェッツは、適応課題への取り組みはシステム全体に分配されなければならないと述べている。彼の枠組みにおけるリーダーシップとは、上層で問題を解くことではなく、個人の能力を超える課題に向き合うためにシステムを動員することだ。可能性思考も同じ論理に従う。それはつながりを通じてスケールする。さもなければ、まったくスケールしない。
集合知を引き出す問い
実務ではどのように見えるのか。組織でアンサンブルとしての可能性思考を築きたいなら、集団的な知覚と動きを招く問いから始めるとよい。
「新しい選択肢を見るために、誰の視点を持ち込めるか」。可能性は衝突によって広がる。視点、専門性、アクセスが予期せぬ形で組み合わさることだ。多くの組織には、つながりの可能性を持つネットワークが未活用のまま存在している。
「この方向性を共に検証できる、負荷の低い実験を1つ挙げるとしたら何か」。強調点は「共に」である。中央の計画を並行実行することではなく、共有の学習ループを伴う共同探究だ。
「ローカルな知性を押しつぶさずに、どう方向性をつくるか」。これがアンサンブル実践の中核にある緊張である。共に動けるだけの整合性と、現場で知覚し応答できるだけの自由。その両方が必要だ。
「勢いを生むのに、私たちが避けている会話は何か」。集団は、何を話さないかについて無意識の合意を形成する。こうしたタブーの話題は、しばしば最大の可能性の真上にある。それを名指すことが動きを生む。
増幅される「隣接可能」
スチュアート・カウフマンの「隣接可能」という概念、すなわち複雑系では未来は段階的に利用可能になり、各ステップが、それまで見えなかった選択肢を明らかにするという考え方は、この連載で私が書いてきたことすべての下敷きにある。隣接可能は、個人ではなくアンサンブルによって探索されるとき、劇的に広がる。注意が増えれば、知覚される開口部が増える。主体性が増えれば、走る実験が増える。つながりが増えれば、学習が速まり、洞察の組み合わせが豊かになる。
可能性思考とは、無限の未来を想像することではない。到達可能な次の未来へと進むことだ。それを何度も繰り返す。そして、その「次の到達可能な未来」は、共に動くときにより大きくなる。
リーダーの役割は変わる。可能性を一人で知覚することから、組織全体がそれを知覚できる条件をつくることへ。一人で一歩を踏み出すことから、協調された動きを可能にすることへ。道筋を知ることから、探索をホストすることへ。
センスメイキングについて書いたとき、私は、不確実性の中で希望が生まれるのは、人々が共に意味をつくることを助けるときだと主張した。可能性思考について書いたとき、私は、注意と主体性を通じて意味が動きへと変わるのだと論じた。ここに私はさらにこう加えたい。その動きが持続的になるのは、それが共有されるときだ。注意、主体性、つながりは、単なるフレームワークではない。それは連なりである。各要素が前の要素の上に築かれ、次に続くものなしには不完全なままだ。
不確実性が常態で、地図が常に不完全な世界において、組織が築き得る最も価値ある能力はこれかもしれない。個人の天才ではなく、集合知、そして共に知覚し、動き、学ぶ力である。



