身をもって学び、忘れる
10年以上前、私は中東で非営利団体の事務局長を務めていた。自分たちが運営するコミュニティセンターに住みながら、毎月約10日の出張を伴うエグゼクティブMBAのコースを受けていた。自分が常にいなければチームは崩れると思い込み、出張先の世界の裏側から電話会議に参加し、いつでもメールに返信し、別大陸にいて実質的に何もできない週次報告にまで目を通していた。
6カ月後、私は疲れ果てていた。チームも不満を募らせていた。そして逆説的な真実が明らかになった。不在にする月3分の1の時間のときの方が、私ははるかに良いリーダーだという真実だ。私が常時対応できないことで、チームは自分たちで問題を解決し、決断し、能力を発揮した。不在にすることで私の存在が消費していた余力が生み出されていた。
私の過剰な管理が圧迫していたのは、まさしく私が適任の仕事だった。戦略的洞察やパートナーとの関係、国際的ポジショニングといった、私の専門性を要する他の人に任せられないものだ。過剰な管理を減らすことで、私がすべき仕事を増やす余地が生まれ、「三方よし」となった。
この話を過去の教訓として語っているのではない。正直な告白だ。私はその教訓を完全に学び、構造的に理解し、枠組みを作り上げた。それでも10年後、別の領域で似たような誤りを犯していた。このパターンの本質はそこにある。気づきだけでは消えない。実践が必要だ。
カーブをとらえるための枠組み
対策は単に行いを減らすことではない。それぞれの取り組みの実際のリターン曲線に沿って努力を適正化し、解放されたエネルギーをもっと生かせる領域に振り向けることだ。
私が用い、教えている方法は「ストップ、ドロップ、ロール」という三段階のものだ。
ストップとは、努力がすでに最大の価値を生んでいる状況、つまりカーブが平坦化し、そのタスクに見合う以上の労力を費やしている状況に気づくために立ち止まることだ。ハイパフォーマーは止まることは非生産的だと感じるため、これには立ち止まろうとしないことへの注意が必要だ。立ち止まることは非生産的ではない。生産性が最大に達した後で最も生産的な行為だ。
ドロップとは実験だ。会議や成果物、準備の水準、惰性で続けている役割など、具体的に1つ削減すべきものを特定する。必ずしも永久に削減するわけではない。エネルギーが解放されたときに何が可能になるかを試す実験だ。
ロールとは再配分だ。削減は何かを削減するためではない。解放された余力を自分やチーム、そして目指すインパクトのために真に複利的リターンを生む仕事へ振り向けるためだ。
この一連の流れは単純に思える。実際、単純だ。難しいのは、知的にではなく文化的にだ。仕事に関しては「インプットを増やせばアウトプットも増える」という社会的通念がある。過重労働を支える強固なインフラも存在する。
研究は、過重労働が個人の問題ではなく、野心的なプロフェッショナルと、可視性・常時対応・量を価値より優先する組織システムとの同期による構造的問題であることを示している。その同期を断ち切るには、一度用いて忘れる生産性ハックではなく、意図的で継続的な実践が必要だ。
これをうまく行うリーダーは、単に働く時間を減らしているわけではない。より誠実に働いているのだ。自分の最高のエネルギーを最大のリターンを生む機会に向け、すでに十分な価値を生んだ仕事に不必要にエネルギーをかけるのをやめる規律を持っている。
それこそが、さらなる努力以上に持続する成果を生み出す。


