リーダーシップ

2026.03.01 21:42

AIに「別人」を演じさせるリーダーたち──ペルソナ・プロンプティングが奪う本当の価値

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リーダーシップ会議やコーチングセッション、AIワークショップで私が最近気づき始めたことがある。リーダーたちは機械に本当に聞きたい質問を投げかける前に、誰かの服を着せるのだ。

最初に打ち込むのは、解決したい問題ではない。コスチュームだ。「あなたは組織変革に深い経験を持つ世界クラスのCEOです」「あなたはマッキンゼーのパートナーです」「あなたは30年の経験を持つビジョナリーな戦略家です」

私がそうしたやり方をしているのを見かけたあるリーダーは、中堅の工業系企業でオペレーション担当の副社長を務めていた。彼は自分の仕事ができる。22年間、生産現場を医師が身体を診るように読み解いてきた。システムのどこに負荷がかかっているのか。どこで補償が起きているのか。次の故障はどこから来るのか。それが彼の才能だ。具体的で、積み上げてきたものでもある。

だが彼は、自分自身としてAIにプロンプトを出さない。CEOとしてプロンプトを出す。そして彼は例外ではない。

この実践には名前がある。プロンプトエンジニアリングだ。そして、誰も問うのを聞いたことがない疑問がある。機械とのやり取りのたびに「自分は誰か別の人間でありたい」と宣言することから始めるリーダーに、いったい何が起きているのか。

衣装ダンス

私は30年近く、リーダーたちを間近で見てきた。基調講演の場ではない。実際の仕事が行われる部屋でだ。そしてAIが登場するずっと前から、繰り返し目にしてきたものがある。なりすましへの引力である。リーダーが別のリーダーを研究し、その人になろうとする。話し方をまねる。合わない問題に借り物のフレームワークを無理やり当てはめる。

これはほとんどうまくいかない。私がキャリアを通じて貢献してきた強みに基づくリーダーシップに関するギャラップの研究は、一貫して、最も効果的なリーダーは他人になろうとしないことを示している。彼らは自分の持つものを伸ばす。実行リスクを読み取るオペレーションリーダー。データに現れる前に関係の亀裂を察知する商業部門のリーダー。こうした視点に価値があるのは、汎用的ではないからだ。

AIのロールプレイは、昔からある問題を加速させ、しかも見えなくする。以前は、なりすましには努力が必要だった。本を読む。プログラムに参加する。意識的に模倣する。今は12語で済む。ペルソナはオンデマンドで呼び出せる。摩擦なくはまる義肢のようなアイデンティティであり、本物の視点を識別可能にする「粗さ」を持たない。

シニアリーダーが1日に何度、チャット画面に「あなたはCEOです」と打ち込むかを考えてみてほしい。1回ではない。実験としてでもない。繰り返し、ワークフローとして行われる。そのたびに、彼らは小さな自己消去の行為を練習している。そして練習は習慣になる。習慣はデフォルトになる。デフォルトはアイデンティティになる。

大いなる平板化

組織全体で私が観察してきたパターンから引いた、次のシナリオを考えてみよう。ある最高人事責任者が、自社の年次リーダーシップサミットで奇妙なことに気づく。シニアリーダーたちが戦略提言を発表する。提案は明快で、構成もよく、プロフェッショナルな論理で組み立てられている。

そして彼女は気づく。すべてが同じに聞こえるのだ。

似ているのではない。同じなのだ。同じ3本柱のフレームワーク。同じステークホルダー言語。同じ抑制された楽観。彼女が周囲に尋ねると、ほぼ全員が、シニア戦略家や経営コンサルタント、あるいはCEOのように考えるようAIに指示していた。

2025年に発表された研究は、22の大規模言語モデルをテストし、構造上の違いを統制した後でも、創造的アウトプットが人間同士の回答よりはるかに互いに似通っていることを見いだした。この収束はバグではない。こうしたシステムの動作原理に備わった特徴である。

結果として、その企業が得るのは「模擬コンサルタントなら何と言うか」のバージョンが何十通りもある、ということだ。製造責任者が知っている、そうした戦略の半分を不可能にする制約についての知見は得られない。法務チームが直感している、まだ18カ月先だが、どこを見るべきか知っていればすでに兆しが見える規制変更についての感覚も得られない。

それが平板化である。同じペルソナ指示を伴う異なるプロンプトでAIに戦略コンテンツを生成させたことのある人なら、このパターンを認識するはずだ。アウトプットは収束する。そして、その均一さは心地よい。それが危険である理由だ。組織がすでに聞いたことしか誰も言っていない、という事実に気づくまでに、数カ月、時に数年かかる。

プロンプトに潜む告白

あらゆる「〜として振る舞え」というプロンプトは、静かな告白である。「この仕事には、自分の視点では不十分だと思っている」

ここは慎重でありたい。というのも、その本能が完全に間違っているわけではないからだ。優れたリーダーは、組織が存在する限り、外部の視点を求めてきた。だが、別の視点を求めることと、自分自身の視点を空洞化させることの間には一線がある。「見落としている点を教えてほしい」と言うことと、「自分より優れた誰かになってくれ」と言うことの間にもだ。前者は判断を拡張する。後者はそれを置き換える。

1998年、あるリーダーがジャック・ウェルチになろうとしたとき、模倣と現実のギャップは見えていた。チームにも、同僚にも、やがては本人にも。摩擦がフィードバック機構だった。衣装が合っていないと教えてくれた。AIはその摩擦を取り除く。アウトプットは流暢で、自信に満ち、もっともらしい。演じるのをやめるべきだというシグナルが、リーダーに届かない。そうして、タウンホールでは「本物らしさ」について演説しながら、午後には機械に「誰か別の人間のふり」をさせ、その成果物を自分のものとして扱うリーダーが生まれる。

機械が返せないもの

20年の経験を持つオペレーションリーダーが、自分自身としてAIに質問するとき、目に見えない何かがやり取りを形づくる。彼女は単にリストラクチャリングについて尋ねるのではない。自分が主導して失敗した前回の記憶を抱えたまま、リストラクチャリングについて尋ねる。消えたサプライヤー。電話に出なくなった工場長。誰も決めないので、自分が不確かなデータで4つの意思決定をした週。彼女が質問を打ち込むとき、そのすべてが同じ部屋にある。それが、何を問うか、どの答えを有用と見なすかを左右する。

同じ質問を「世界クラスの戦略家」という仮面越しに尋ねると、その重みは蒸発する。AIは彼女が知っていることを知らない。そして今や、彼女自身もそれを知らないのと同じ状態になる。彼女は機械に、そして自分自身に、彼女の「知っていること」は要点ではないと告げたからだ。

自分の不確かさがもたらす生産的な居心地の悪さも失われる。「〜として振る舞え」というプロンプトは、それを自信ありげに話す登場人物に置き換える。アウトプットはきれいに届く。リーダーは、自分が知っていることと知らないことの間のギャップに向き合わずに済む。

そのギャップこそが、リーダーシップが息づく場所である。

足場を作っているのか、代替しているのか

ここは厳密に述べたい。ペルソナ・プロンプティングを支持する理由は確かにある。かつては6桁ドルのコンサル契約の背後に閉じ込められていた戦略思考へのアクセスを民主化した。戦略や財務の正式な訓練がないリーダーにとって、これらのプロンプトは以前には存在しなかった足場を提供する。初めて起業する創業者が、熟練のCFOのように考えるようAIに指示し、雇用が必要だったはずのアウトプットを得られる。それは軽い話ではない。

しかし、思考を整理するためにフレームワークを使うことと、思考そのものを置き換えるためにペルソナを使うことは違う。前者は能力を育てる。後者は借りる。そして借りた能力は複利で増えない。

すべてのリーダーが、チャット画面に「あなたは」と打ち込む前に問うべきことがある。自分は足場を組んでいるのか、それとも代替しているのか。すでに知っていることを構造化するためにこのツールを使っているのか。それとも、自分の視点を信じられず、自分が発明した登場人物に思考を外注しているのか。

AIを通じて代替しているリーダーの中には、AIが現れる前からすでに代替していた人もいる。このテクノロジーがアイデンティティの危機を生んだのではない。より心地よい配送手段を与えただけだ。そうしたリーダーにとって、プロンプトの修正では助けにならない。取り組むべきは上流である。そもそもリーダーとして自分が何者なのかを知っているかどうかだ。

だが、現実の問題への長年の近接を通じて視点を獲得してきたリーダーには、これらのツールの別の使い方がある。衣装としてではない。鏡としてだ。

「あなたはCEOです」の代わりに、こう試してほしい。「私はオペレーションのリーダーで、15年間、戦略が実行段階でどこで壊れるかを見てきました。その視点から考えるのを手伝ってください」

「マッキンゼーのコンサルタントとして振る舞え」の代わりに、こう試してほしい。「私が最も自信のない前提を3つ挙げます。反証してください」

「あなたはビジョナリーなリーダーです」の代わりに、こう試してほしい。「私の2階層下の人たちは、この計画に何が欠けていると言うでしょうか」

前者ではリーダーが消える。後者ではリーダーが残る。だが、これらが機能するのは、自分の見取り図(vantage point)が何かを知るという前段の作業をしている場合に限られる。「私は『〜が見える』タイプのリーダーだ」という文を完成できないのなら、衣装を着たプロンプトであれ別の何であれ、助けにはならない。

衣装の代償

組織はAI導入に巨額を投じ、リーダーにプロンプトエンジニアリングを訓練している。だが、そのツールの使い方が、リーダーシップを代替不能にする唯一のものを静かに蝕んでいないかを問う組織は、ほとんどない。すなわち、特定の判断を育ててきた特定の人物の、特定の視点である。どんなペルソナも近似できないものだ。

衣装は快適だ。きれいな仕事ができる。会議で人を感心させる。そして、着続けるほどに、その下の人間は少しずつ薄れていく。

問うべきは、AIプロンプトが十分に優れているかどうかではない。いまなお、誰が質問しているのかを自分が知っているかどうかである。

forbes.com 原文

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