映画

2026.02.28 14:15

原子力という”太陽”をめぐって|「生きものの記録」「太陽を盗んだ男」

SD AI - stock.adobe.com

そんな城戸を追うことになる山下警部(菅原文太)は最後に、「お前が一番殺したがってるのはお前だ」という、城戸のニヒリズムの盲点を突く。この、刑事ドラマをベタに地で行くようなキャラクターの山下と、城戸の出会いのきっかけとなるバスジャック事件が興味深い。

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城戸が生徒らと共に巻き込まれた事件の犯人は、旧陸軍の軍服姿でライフルを構えバスの運転手に皇居に行けと命じ、「陛下にお話したいことがある。息子を返して頂きたい」と言う。彼の名は山崎で、『ヤマザキ、天皇を撃て』(奥崎謙三著)を連想させる。まだ戦争の終わっていないこの老人を登場させたことで、原爆を作ってしまった団塊の世代の物語に別の位相が重ねられ、戦後34年目の日本の風景が奥行きを持って立ち上がってくる。

事件の中で、城戸は山下の勇気ある行動に魅せられる。生徒を解放させた後、二人が白いハンカチを掲げながら犯人の立てこもるバスに向かって並んで歩いていく構図は、美しくも象徴的だ。城戸にとって警察は唾棄すべき「権力の犬」だが、ここで山下だけは闘ってもいい相手に昇格するのだ。以降の城戸の行動は、すべて山下を意識して為されていくが、山下自身が原爆の犯人は城戸だと気づくのは終盤である。

いかにも男臭い菅原文太に対して、沢田研二は中性的で女に扮し女言葉で話す場面もあり、そうした二人のコントラストも相まって城戸が山下に片想いしているかにも見える。城戸は、自分とは正反対のタイプの職務に忠実で社会正義に燃える山下と、もはや失われてしまった”男の闘い”をしたかったのだろう。どんな対立をも差異として呑み込んでいくこの世界で、その闘いを真剣勝負にする最強の武器は原爆なのである。

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しかし山下の死によって、これといった到達目標のない城戸の闘いは宙に浮いてしまう。時代の閉塞感に深く囚われた彼のニヒリズムは、喜一の放射能恐怖と同じく治癒しない。行き場を失った城戸には、何も変わらない世界と、原爆製造の過程で被爆した自らの身体のリアルな現実だけが残る。

絶望と虚無の極まった城戸が、時限爆弾装置をつけた原爆の入ったスポーツバッグをぶら下げ、頬に涙を光らせながら夕暮れの新宿の街を彷徨う姿と、その後の暗転、同時に響く重低音の爆音は、日本映画史上屈指の恐るべき幕切れである。「みんなが助からないかん」というかつての叫びは、四半世紀後、「みんな滅びればいい」に反転しているのだ。

『生きものの記録』で最後に精神病院に入れられた喜一は、病室の窓から太陽を見て「地球が燃えとる!」と叫んだ。人類が生み出した人工太陽である原子力から、どこまでも逃れるという闘いの果てに狂った喜一。国家に独占されたその太陽を盗み、何らかの闘いを試みて挫折した城戸。われわれがいるのは、彼らの「中間」である。

文=大野左紀子

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