先の衆議院選挙では焦点とならなかったが、高市首相の持論である「非核三原則」の見直しが今後どうなるかに注目が集まっている。高市氏は歴代の首相と同様、緊急時には核を「持ち込ませず」の原則に例外を認める考えも示している。
しかし、いつでも核兵器並みの危険物に変わり得るものが、日本には存在している。原子力発電所だ。2026年2月現在12基の原発が運転中だが、大災害や他国からの攻撃などで万が一メルトダウンや爆発があれば、環境や周辺住民への影響は致命的なものとなる。ちなみに1977年、カーター米政権は、日本の「原子炉級プルトニウム」でも核兵器は製造できるという見解を示している。原発は一つ一つが未発の原爆だと言っても過言ではない。
1月に亡くなった長谷川和彦監督の『太陽を盗んだ男』(1979)は、原発からプルトニウムを盗んで個人で原子爆弾を作ってしまった高校教師・城戸誠(沢田研二)が主人公だ。国家しか保有できない核兵器を個人が持つ、それによって名もない一人の人間が国家を脅かす存在になるという意表を突いた設定の本作は、今なおカルト的人気を誇っている。
核兵器という脅威ほどあらゆる物事に影響を与え、人を動かす力を持ったものはない。この観点から今回『太陽を盗んだ男』と比較してみたいのは、黒澤明監督の『生きものの記録』(1955)だ。原水爆の放射能汚染の恐怖に取り憑かれ、私財を投げ打ってブラジル移住を画策する鋳物工場主・中島喜一(三船敏郎)が登場する。彼は、「加害者」然としている城戸とは反対に、強い「被害者」意識に突き動かされている。
この二作品の間には、1950年代半ばから1970年代末までの核や原子力を巡る社会情勢の変化のみならず、戦争を体験した世代と戦後世代の相違がくっきりと浮かび上がっている。ただ、いずれもそれぞれにとっての闘いを描いているという点では変わらない。それは、反核や反原発といった平和運動、社会運動からすれば”邪道”な、世界から孤立した個人の闘いだ。
核実験は広島、長崎への投下を含め1945年から90年代頃まで、米・ソ・英・仏・中などの国が何百回となく行ってきた。1954年、アメリカがビキニ環礁で行った水爆実験で、日本のマグロ漁船・第五福竜丸の乗組員が多量の「死の灰」を浴び被爆した事件は、日本社会に大きな衝撃を与え、反核運動が高まった。『生きものの記録』はそうした情勢の中で制作された作品である。



