桂:「今月の一冊」でアラン・ケイの『アラン・ケイ』を取り上げたときにも思いましたが、かつてはコンピューターを使って絵を描くにしても、音楽をつくるにしても、自分(人間)の能力が拡張されるという感覚があったと思うんです。しかし今、それは失われつつあるのではないかと。
東:そこは本当に大事です。絵を描くのが楽しい、音楽をつくるのが楽しいというのは、本来は自分がペンを取り、楽器を触るからでしょう。アラン・ケイも、プログラミングは、ほとんど粘土細工と一緒で、いろいろ試して触ってみて、それによってどこがどう変わるかを試すのが楽しいんだと言っている。つまりプログラミングの身体性について論じているんです。
ところが今のAIの使い方は、単に命令しているだけですよね。「もう少し女の子の髪の毛を長くして」とか「弾むようなリズムにして」とプロンプトで指示を出すだけで、自分でつくってはいない。
進歩といわれているのだけれど、もともとのモノづくりの楽しさはどこへ行っちゃったんだ? と思います。今のクリエイターは、自分でモノをコツコツつくって工夫するという過程を飛ばして、いきなりAIという「部下」に指示を出す管理職や経営者の立場になってしまっている。金儲けとして最適なのはわかるけど、それでいったい何が「面白い」んだろう。
桂:考えてみると、最近、エンジニア達が自作でキーボードをつくってるんです。これも、「自分でモノをつくっている」手ごたえがなくなったり、自分で手を動かすのではない部分が増えてしまったストレスを解消しているのかもしれませんね。
東:そりゃストレスたまるでしょう。プログラミングを書くという、本来いちばん楽しい部分をAIに取られちゃってるんだから。
桂:もちろん、ITやAIが産業として発達してきたからこそ、プログラミングも「楽しい」だけではない、「仕事」になった面はあります。同時に、プラットフォームが強くなり、GAFAMのようなビッグテックが力をもつようになったなかで、多くの人たちがかつてのような思想からテクノロジーやインターネットを語れ なくなってきているのでしょう。そのなかで、ITの可能性をどう僕らの手元に引き戻すのか。現実的な、僕らとテクノロジーの接し方を、あらためて考えなければなりません。


