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2026.02.27 10:00

ユーラシア大再編 旧ソ連諸国に対するロシアの影響力が縮小、米中は勢力拡大

アゼルバイジャンの首都バクーで会談した同国のイルハム・アリエフ大統領(右)と米国のJ・D・バンス副大統領。2026年2月10日撮影(Kevin Lamarque - Pool/Getty Images)

米国は史上初めて、長年ロシアに支配され、イランの脅威にさらされてきた同地域で、永続的な影響力を確立する真の機会を得た。米国の建国当時、南カフカスと中央アジアは既にロシア帝国の支配下に置かれつつあった。米国が世界的な超大国として台頭する頃には、これらの地域は既に完全にソ連の鉄のカーテンの向こう側に位置していた。ソ連崩壊後もロシアは影響力を維持し、同地域を自らの勢力圏内にとどめ続けた。

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ロシアの南部周辺地域

ソ連の後継国家であるロシアは、独立国家共同体(CIS)、集団安全保障条約機構(CSTO)、ユーラシア経済同盟(EAEU)といった国際機関を通じて、旧ソ連を構成していた共和国に対する影響力を維持してきた。だが、ロシア南部国境周辺の支配は常に不安定で、地域的な対立や複雑な地政学によって制約されていた。持続的な不安定さと度重なる地域紛争は、ロシア大統領府(クレムリン)の野心と実際の権力行使能力との間の溝が拡大していることを露呈した。結果的に、この地域に位置するロシアの近隣諸国は独自の戦略を追求し、クレムリンの権威の限界を試すようになった。

2000年代初頭までに、ウラジーミル・プーチン大統領の権力掌握により、ロシアはカフカス地方全域における支配力をある程度回復し、影響力を再構築することができた。北大西洋条約機構(NATO)のアフガニスタン介入により、中央アジアでのロシアの安全保障上の負担が軽減され、欧州に再び資源を集中させることが可能になった。2000年代初頭~2010年代半ばにかけて、ロシアは体系的に西側戦略を強化した。その10年間に、ロシアは2004年のウクライナのオレンジ革命を鎮圧し、2008年にジョージアに侵攻し、2014年のウクライナのマイダン革命という地殻変動的な動乱に介入した。

同年、ウクライナで親ロシア政権が追放されたことを受け、ロシアはウクライナ南部クリミア半島を併合し、東部ドンバス地方に侵攻した。これらの行動により、ロシアは西側諸国との長期にわたる対立に陥り、南方面への注意がそがれた。ロシアの戦略的焦点が西へ移る中、中国は安全保障協力や社会基盤整備計画、エネルギー投資を通じて中央アジアでの存在感を拡大した。2013年に中国の巨大経済圏構想「一帯一路」が始動すると、この動きはさらに加速した。中国はその後、ロシアがある一定の政治的影響力を維持しているにもかかわらず、中央アジアで経済的影響力を強めていった。

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翻訳・編集=安藤清香

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