私たちは日々、意思決定をしている。そのなかには重要度の高いものもある。しかし、私たちがどのような結論に落ち着くかは、目にも意識にも捉えにくい力学に左右されることが少なくない。表面的には情報に基づいて決めたと思っていても、実際にはその逆である場合がある。
情報に基づく、そしておそらく最善の意思決定を行うには、思考と分析の能力を縛っている隠れた制約から自分を解き放つ必要がある。意思決定を妨げる要素には、事実やデータとの関係を歪める内的・外的バイアス、恐れやリスク許容度に結びついた心の状態、そして時に、時間や空間、そして自分が生きている瞬間といった制御不能な問題が含まれる。自問してみてほしい。「ここにあるものによって自分は閉じ込められ、制約されていないか。それとも、思考の視界を広げることが許されているのか」と。
そして、それは始まりに過ぎない。
まっさらな紙から始める
私の1日の多くは、野心的なプロジェクトに目を通し、それを現実にする方法を探すことに費やされている。その仕事の過程で、ある社員が文書を手渡し、フィードバックを求めてきた。彼らが望んでいたのは、おそらく単に目を通して編集することだったのだろう。だが私が実際にやったことは、重要な点を自分のなかで明確にする助けになっただけでなく、問題を先入観なしに見渡す視点も与えてくれた。
私は新しい紙を取り出し、相手が書いたものを見ずに、そのテーマについて思いつく限りのアイデアを書き出した。次に、その2つを比較した。何が欠けているのか。両方に書かれているものは何か。何が重要で、何をより前面に押し出すべきか。最終的には文書に書き込みもしたが、それは先入観から自由な、制約に縛られない心で行った。
情報に基づく意思決定をするには、ことわざで言う「真っさらな紙」から始める必要がある。そこは、アイデアを探り、新しい概念を考え、これまで考えたこともなかった可能性を検討できる空間である。だが、それは難しい。私たちは皆、経験によって形作られており、そうした出来事から自分を切り離すのは難しい場合がある。しかし不可能ではない。
制約を超えて
思考や意思決定能力に対して意図的・非意図的の両方の制約が存在することを認識できたなら、次はそれらの問題から自分を解放していけばよい。思考の絞りを広げるために必要なものは、すでに手の中にある。
可能性の広がりに向けて思考の視界を開いたままにするには、自分自身に挑むこと、そして意思決定を形作ったり歪めたりしようとする他者にも向き合うことが求められるかもしれない。思考の輪郭と、運命の境界線を微調整できるのは自分だ。選択の時が来たなら、そうした制約から思考を解放し、その恩恵を得ればよい。
情報に基づく意思決定は「成り行き」ではなく「設計」で
意思決定には2つの基本的な道がある。1つ目は「成り行き」だ。つまり、慣習、心地よさ、社会規範、認知バイアスに根ざした、私たちが無意識に行う選択である。2つ目は、解決策を客観的に追求するうえでの障害を取り除くよう、意図的に設計された意思決定である。私たちが主体性を放棄する、あるいは失ってしまうと、「成り行き」やオートパイロットの意思決定をしてしまう。確かに、そうしたほうが往々にして楽ではある。
どう考え、何を考えるかに影響を与えようとする騒音が渦巻いていても、思考プロセスの鍵を握るのはあなた自身である。結論に至るまでに内なる綱引きを感じることがあったとしても、傍観者でいる必要はない。結果を完全にコントロールできることは滅多にないが、入力は自分のものだ。要は、何を選んで行うかである。
結局のところ、情報に基づく意思決定の質と量を測るバロメーターはあなた自身である。注意散漫、歪み、自己に課した制約を見抜き、状況とデータを批判的に分析できるようにしよう。より良い情報に基づく意思決定のために、思考の視界を広げる機会を自分に与えよう。
これこそ、私たちが本当に望み、必要としていることではないだろうか。



