AI(人工知能)は、これらの問いに新たなフロンティアをもたらす。「大規模言語モデルは、ウィキペディアの項目を書くにはまだ十分ではない」とウェールズは率直に言う。「幻覚(ハルシネーション)を起こしてしまう」。彼が指摘する危険は、いわゆる「もっともらしいナンセンス」だ。それでも、人間が主導権を握り続けるのであれば可能性はあると彼は見る。「最終判断を下すのは常に人間であるべきだ」
彼の懸念はウィキペディアにとどまらない。エンゲージメント最適化されたアルゴリズムは、分断に報酬を与えがちだと彼は警告する。「他人を攻撃し、悪意を前提にすることは、成功するための素晴らしい方法になり得る」。時間が経つにつれ、それは礼節だけでなく、共有された現実そのものをも蝕む。「基本的な事実理解すら共有できないのなら」と彼は言う。「政策論争は完全に望みがなくなる」
共有された事実の喪失は、今日の信頼に対する最大級の脅威の1つだとウェールズは主張する。「私たちは、得られる情報の一部を信頼できなければならない」。それがなければ妥協は崩れ、民主主義は停滞する。あらゆることが、社会的にも経済的にも、より高くつく。
それでもウェールズは、特に若い世代に関して、慎重ながら希望を失っていない。信頼に足ることは、大きな差別化要因だと彼は考える。「人々が『彼は信頼できる』と言うなら、それは大きな前進だ」
結局のところ、ウィキペディアの教訓はテクノロジーの話ではない。設計上の選択の話であり、リーダーが疑念に根ざしたシステムをつくるのか、それとも信頼に根ざしたシステムをつくるのかという問題である。ウェールズにとって、信頼はナイーブなものではない。実務的で、持続性がある。そして、思慮深く設計されるなら、それは何よりスケール可能な資産になり得る。


