カルチャー

2026.02.17 17:15

スタンドアローン・コンプレックスとしての万博─中心なき共鳴はいかに「設計」されたのか|宮田裕章の「辺境」未来論 第2回

Loco - stock.adobe.com

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データサイエンティストであり、4月に飛騨高山に開校する「Co-Innovation University(略称:CoIU、コーアイユー)」の学長候補である宮田裕章が、「地域共鳴」について考える連載の第2回。

1月30日からTOKYO NODE GALLERYにて『攻殻機動隊展』が開催されている。士郎正宗の原作を起点にアニメ化30周年を迎えた『攻殻機動隊』は、押井守監督版をはじめ、神山健治監督による『Stand Alone Complex(S.A.C.)』シリーズや、黄瀬和哉総監督の『ARISE』シリーズなど、複数の設定や世界観をもつ作品群として展開してきた。

なかでも神山版SACが描いたのは、中心を持たない社会の構造だ。誰かが指示しなくとも、自律した行為が連なり、集合的な現象へと転じていく。この視点は、2025年大阪・関西万博を読み解くうえで、有効な補助線となる。


2026年1月末。今改めて『攻殻機動隊』の大規模展覧会に触れ、この作品が描き出した社会モデルの射程の深さに、強い感銘を受けている。神山健治監督によるSAC(Stand Alone Complex)シリーズが提示したのは、単なるフィクションではない。中心なき時代において、人々の自律的行為がどのようにして集合的現象へと転じるのか、その構造そのものだった。

(c)士郎正宗・講談社/攻殻機動隊展Ghost and the Shell製作委員会
「攻殻機動隊展」プレスリリースより (c)士郎正宗・講談社/攻殻機動隊展Ghost and the Shell製作委員会

「スタンドアローン・コンプレックス(SAC)」とは、明確な中心や指導者、オリジナルが存在しないにもかかわらず、個々に自律した行動が、結果として巨大な社会的現象を形成してしまう状態を指す。2025年大阪・関西万博を振り返ると、その実態を的確に示す形容の1つがスタンドアローン・コンプレックス現象である。そして重要なのは、その共鳴の条件が意図的に組み込まれていた点にある。

中心を置かないという設計

従来の万博は、「これが未来だ」という単一のビジョンを、国家や主催者が中心となって提示する啓蒙装置だった。1970年大阪万博における《太陽の塔》は、その象徴である。強い中心があり、そこから未来像が放射される構造。しかし2025年万博では、あえてこの構図を反転させた。中心に強いメッセージを置かず、「空白」を残す。その空白に無数の解釈と行動が流れ込むことを、あらかじめ想定し、意味を固定しなかった。その結果として立ち上がったのが、SAC的な現象である。

会場全体を包み込む「大屋根リング」は、唯一の統合的構造物でありながら、個々のパビリオンに方向性を強制するものではなかった。来場者はリングの上を歩き、互いに無関係にも見える展示群を俯瞰しながら、自分なりの文脈で「未来」を編集していく。一方、その中心に配置された「静けさの森」は、意味を発信する装置ではなく、内省のための余白として機能させた。中心から意味を与えないという選択は、偶然ではなく、藤本壮介さんと相談した上で配置した、きわめて意図的な設計である。

静けさの森(宮田裕章撮影)
静けさの森/宮田裕章撮影(c)better Co-being

「テーマウィーク」事業においても同様だ。私は、詳細な統一ガイドラインによって表現を管理するのではなく、「問い」を共有するフレームとしてテーマウィークの設計にかかわった。これは秩序を放棄したのではない。むしろ、自律分散が生じる条件を整えるための戦略的選択だった。

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文=宮田裕章

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