スポーツ

2026.02.12 12:00

50年ぶり五輪で復活した大技、フィギュア「バックフリップ」の数奇な歴史と選手たちの想い

2026年2月8日、ミラノ・コルティナ冬季五輪フィギュアスケート団体・男子シングルFSでバックフリップを決める米国のイリア・マリニン。ミラノ・アイススケートアリーナにて(Tim Clayton/Getty Images)

長野で敢えて禁忌を犯したスルヤ・ボナリー、その理由は……

国際大会でこの「禁じ手」に敢えて挑み、ペナルティーを受けた選手がいる。欧州チャンピオンに5度輝いたフランスのスルヤ・ボナリーだ。1998年の長野五輪で女子選手として初めて試合でバックフリップを成功させた。

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ボナリーは世界選手権で銀メダルを3回獲得するなど、キャリアを通じて大きな成功を収めてきた選手だが、25歳で迎えた長野五輪を最後に引退を予定していた。鼠蹊部に痛みを抱えながらSPを6位で終え、もはや五輪メダルの希望は潰えたと悟ったボナリーは「人々に話題を残してリンクを去ろう」と心に誓った。3回転ジャンプで転倒した後は、痛みがひどく予定の技術要素の完遂もままならなかった。

代わりにボナリーは審判団と世界中を驚かせる決断を下した。競技人生最後の演技で、バックフリップを決めてみせたのだ。

1998年2月20日、長野五輪フィギュアスケート女子シングルFSでバックフリップをするフランスのスルヤ・ボナリー(John Tlumacki/The Boston Globe via Getty Images)
1998年2月20日、長野五輪フィギュアスケート女子シングルFSでバックフリップをするフランスのスルヤ・ボナリー(John Tlumacki/The Boston Globe via Getty Images)

このバックフリップは技術的にクビカより優れていた。クビカが両足で着氷したのに対し、ボナリーは片足で着氷した。これはフィギュアのジャンプ全てに求められる基本要素だ。技術の高さを証明したにもかかわらず、審判団は動じなかった。ボナリーは減点され、総合順位を6位から10位に落とした。観客は衝撃に沸き立った。

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女子選手でバックフリップをこなせたのは当時ボナリーだけだった。彼女はのちに「私の技を評価しない審判団に、どんなことができるのかを見せてやろうと思った」と取材陣に語っている。

バックフリップが公式大会で禁止されてすでに20年以上が経っていた。多くの人々の目に、ボナリーのバックフリップは反骨の行動であり誇りの表出と映った。

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翻訳・編集=荻原藤緒

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