スポーツ

2026.02.12 12:00

50年ぶり五輪で復活した大技、フィギュア「バックフリップ」の数奇な歴史と選手たちの想い

2026年2月8日、ミラノ・コルティナ冬季五輪フィギュアスケート団体・男子シングルFSでバックフリップを決める米国のイリア・マリニン。ミラノ・アイススケートアリーナにて(Tim Clayton/Getty Images)

2026年2月8日、ミラノ・コルティナ冬季五輪フィギュアスケート団体・男子シングルFSでバックフリップを決める米国のイリア・マリニン。ミラノ・アイススケートアリーナにて(Tim Clayton/Getty Images)

フィギュアスケート男子・米国代表のイリア・マリニンは6種類のジャンプすべてで4回転を跳ぶ異次元のプログラムで知られ、「クワッド・ゴッド(4回転の神)」の異名を持つ。だが、マリニンの演技が注目を集める理由は他にもある。重力をものともしない後方宙返り──バックフリップだ。

ミラノ・コルティナ冬季五輪フィギュア団体のショートプログラム(SP)と男子フリースケーティング(FS)の演技終盤、マリニンはバックフリップを決めた。米国チームに金メダルをもたらしたFSでは片足着氷を披露し、ミラノ・アイススケートアリーナの観客席を大いに沸かせた。フリーの構成に史上初の7本の4回転ジャンプを組み込むマリニンだが、バックフリップのほうが大きな歓声を呼ぶことも少なくない。

長きにわたりバックフリップはフィギュアスケート界における「禁断の果実」だった。それは選手の身体能力だけでなく、反骨精神をも象徴する技だったのだ。それが半世紀に及ぶ空白を経て、ついに五輪の舞台に復活した。

フィギュアにおけるバックフリップ、初登場は1976年

この技を初めて国際大会で披露したのは、1976年オーストリア・インスブルック冬季五輪の米国代表テリー・クビカだ。カリフォルニア州出身のクビカはまた、現在では一般的だが当時は難易度の高い技だったトリプルルッツに成功した初の米国人選手でもあった。

1976年3月16日、オランダ・アムステルダムのヤープ・エデン屋内スケートリンクで演技する米国人選手テリー・クビカ(Hans Peters for Anefo, CC0, via Wikimedia Commons)
1976年3月16日、オランダ・アムステルダムのヤープ・エデン屋内スケートリンクで演技する米国人選手テリー・クビカ(Hans Peters for Anefo, CC0, via Wikimedia Commons)

その年1月の全米選手権で、当時19歳のクビカは演技の最後にフィギュアスケート史上初のバックフリップを成功させ、優勝した。そして、1カ月後に出場した五輪の舞台でも披露したのである。

1976年2月11日、男子シングルFSの演技中にクビカは五輪フィギュア史上初のバックフリップを決めた。そして今週まで、それが五輪における最後の合法的なバックフリップだった。

「誰かに禁止されるまで僕はやり続ける」とクビカは当時語っていた。残念なことに、その禁止令は予想より早く訪れた。五輪からわずか1カ月余り後、国際スケート連盟(ISU)は公式大会でのバックフリップを禁止した。危険な技であり、伝統的なフィギュアスケート技術とは相容れないと判断したのだ。当時の批判派は、バックフリップは体操の床運動の技であって氷上でやるものではないと主張した。

1976年3月以降、ISU公認大会でこの技に挑戦したスケーターは減点処分を受けることとなった。

次ページ > 反骨と誇りの表出、「禁じ手」に挑んだスルヤ・ボナリー

翻訳・編集=荻原藤緒

タグ:

advertisement

ForbesBrandVoice

人気記事