商社やコンサルから、困難なディープテックの世界へ。京都大学イノベーションキャピタルの「EIR(客員起業家)」制度を経て創業したふたりは、研究室に眠るシーズをどのようにビジネスへつなげたのか。客員起業家の軌跡を追う。
京都大学イノベーションキャピタル(京都iCAP)が提供する「EIR(客員起業家)」制度。起業を志すビジネスパーソンを京都iCAPの契約社員として雇用し、1〜2年かけて国内の膨大な研究シーズを探索・事業化準備に専念させる仕組みだ。この制度から生まれた2つのスタートアップが、エネルギーと量子コンピューターの各領域で世界を塗り替えようとしている。
ディープテックへ誘った「救いの一手」
2024年4月に設立されたライノフラックスは、次世代型バイオマス発電のプラント開発に取り組むスタートアップ。創業わずか半年後の同年10月には、シードラウンドで2.8億円の資金調達を完了。さらに、世界23カ国・地域の代表が競う「KPMG Private Enterprise Global Tech Innovator Competition 2025」の日本代表の座を勝ち取り、世界大会で優勝も果たすなど国内外で注目を集めている。
コア技術は、京都大学の蘆田隆一講師が長年研究してきた「湿式ケミカルルーピング」。従来の発電方式が燃焼による熱を介して電気を得るのに対し、同社はバイオマスを特殊な水溶液に溶かし、化学反応で直接電気を取り出す仕組みを採用。これにより、従来の2〜4倍となる45〜65%の発電効率を実現でき、さらに副産物として純度99.9%以上の高純度CO2を追加コストなしで回収できるといった革新性を武器にしている。
だが、代表の間澤敦(以下、間澤)に創業前のことを聞けば、意外な言葉が返ってくる。
「消去法的に、ディープテックしか残っていなかったというのが本音です」
三菱商事で10年、重厚長大な金属資源ビジネスの最前線を経験した間澤は、18年ごろにIT分野での起業を志した。AIやブロックチェーンを使った貿易プラットフォームなど、いくつものアイデアを練ること2年。ほぼすべての週末を費やして準備を重ねたが、どれも大手のコンソーシアムが先行していたり、顧客から「あればいいですね」程度の反応しか得られなかったりと徐々に行き詰まり、自身の経験領域での創業を腹に決めることとなる。そのなかで、京都iCAPでEIR制度が整備されつつあることを知ったのだという。
京都大学の門をたたいた間澤はまず“言語”の違いを痛感する。研究者は技術の仕組みは語れても、実装可能性やマーケットの有無は語れない。ビジネスパーソンはその逆だ。間澤はまず自身の経験をもとにした「目利き」に徹したのだという。
「先生方の論文を読み込みましたが、文系の私は技術の中身を“ムツカシイ何か”として忌避的にとらえていたように思います。その代わりに『ビジネスとしてもうかるか、勝てるか』という独自の5つの評価項目を設け、ビジネスの文脈への落とし込みと合わせて数々の教授に会い、議論を重ねていきました」
展示会での手応えを積み上げながら、間澤は自身が決めた領域で、引き受けるべき技術を見極めていく。関係を築いてきた教授の技術を選ばないことの歯がゆさや後ろめたさも覚えたが、間澤は起業家の道を固めていった。
そんな間澤にとって、EIRは単なる制度ではなかった。「飲み会に行くたびに『いつかは起業したい』と言いながら数年くすぶっているビジネスパーソンにとって、この制度は挑戦の入り口であり、救いの一手でした」。現在、彼は「2040年の未来をつくる」という北極星を掲げ、京都から世界へと活躍の場を広げている。
「産業をつくる確信」で壁を超える
ライノフラックスの翌年、25年4月に創業したYaqumo(ヤクモ)の代表取締役CEO、中小司和広(以下、中小司)は、より直感的な動機からディープテックの世界へと足を踏み入れた。コンサルティング会社に勤務していた前職時代、駐在先のホーチミン。早朝にロードバイクをこいでいた際「日本のサイエンスも自分が愛するアートと同じではないか」というひらめきを得たことが転機となった。「素晴らしい価値があるのに、資本主義のなかで正当に報われていない。その仕組みを変えたい」。
EIRとして採用されて以降、中小司は3カ月で50人以上の教員を訪ね、100以上のヒアリングを実施。大学内のシーズを一つひとつ吟味し、自身の頭で再構築した結果、最終的に選んだ領域が、従来のスーパーコンピューターの性能をはるかにしのぐ「量子コンピューター」のハードウェア開発。国を挙げて開発が進む量子コンピューターだが、中小司が発揮した最大の価値は、創業までの戦略性にあるといえる。中性原子方式の量子コンピューター開発における国内ツートップ、京都大学の高橋義朗教授と、分子科学研究所の大森賢治教授の両者の技術を結集させる一手を打ったからだ。
「日本、そして世界の量子コンピューター産業を担う若手サイエンティストたちとかんかんがくがくの議論を繰り返しました。日本の量子産業のエコシステムのビジョンをすり合わせ、その過程で、日本の二大巨頭である先生方を擁してYaqumoを設立することができました」
両教授を事業に巻き込むために、まずは現場の研究者たちの信頼を得てチームをつくり、ボトムアップで合意形成を重ねたという中小司。その手法は、コンサルタントとしてのリーダーシップが生きたともいえるだろうが、事業化に粘り強く挑んだ原動力はどこにあったか。答えは明快だ。「本当に価値のある産業ができるという確信があったからです」
Yaqumoが開発する中性原子方式量子コンピューターは、計算の単位「量子ビット」を、物理的な配線ではなく光(レーザー)で制御する点が特徴。ビットが増えるほどに装置の巨大化が限界に達しやすい従来方式に対し、光で数千もの原子を一度に操るこの方式は、計算能力を高める大規模化において物理的な制約が少ない。ビット同士のつながりを自在に組み替えられる柔軟な設計で、計算エラーの訂正を効率的に実行できることも強みだ。
創業間もなく、YaqumoはBeyond Next Ventures、京都iCAP、ANRIを引受先として、シードラウンドで約7億円の資金調達を実施。さらにはNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)のディープテック・スタートアップ支援事業に採択され、数十億円規模の大型補助金も活用しながら、開発スピードを加速させている。
中小司の目標は明確だ。Yaqumoを量子コンピューター界におけるトヨタにすること。かつて自動車産業が日本の経済基盤を築き上げたように、最先端の量子科学をスケーラビリティのある巨大産業へと昇華させ、世界へ輸出する。そのスタートラインはEIRにあった。中小司は来る“後輩”に向けて次のように語った。
「創業以降も、京大のネームバリューは絶大でした。京都iCAPのサポートは良い意味で放任主義ながら、なかでのつながりや対話は濃厚。間澤さんのように大きく出ていこうとする先輩もいます。ディープテックで行くならホームラン狙うほうがいい。京都ではその準備ができます」
京都iCAPは、京都に根を張りながらディープテックスタートアップの創業を志すCEO候補者を求めている。日本の科学技術にキャリアを賭したい方は京都iCAPにコンタクトをとってもらいたい。
京都大学イノベーションキャピタル
https://www.kyoto-unicap.co.jp/
まざわ・あつし◎早稲田大学卒業後、三菱商事に10年勤務し、金属資源の貿易やCVCでの投資業務に従事。2023年より京都iCAPの客員起業家を経て、24年にライノフラックスを設立、代表に就任。
なかしょうじ・かずひろ◎東京大学大学院修了。ドリームインキュベータにてAI投資やベトナム支社取締役に就任。京都iCAPの客員起業家を経て、25年に量子コンピューター開発のYaqumoを設立し代表取締役CEOに就任。



