したがって現状、そして将来も変わらないと見込まれる限り、この地球上で旅客機の「主戦場」にいるのはボーイングとエアバスである。
エアバスは未来を先取りして能動的に動いている。少なくとも狭胴機(ナローボディ機)に関して、ボーイングはそうではない。
世界の競合は撤退した──必ずしもボーイングとの競争が原因ではない
この2社のうち、ボーイングが「生き残った側」であることは明確にしておく必要がある。旅客機ビジネスに巨大な構造変化が起き、競合のほとんどが姿を消した結果、いわば最後まで立っていた者となった。
ボーイングがこの立場に至ったのは、巧みな世界戦略というよりも、外的要因と競合の製品失敗の影響が大きい。
1960年代末から70年代初頭に戻ろう。当時、世界の旅客機市場は多様で活況だった。もちろんボーイングもいた。
ダグラスもいたが、戦後の市場支配をボーイングや他のメーカー群に奪われつつあった。マクドネルに統合された後、稼ぎ頭のMD-80(後のMD-80)プラットフォームを陳腐化させてしまった。さらに、手際の悪いMD-95という小型機があり、軌道に乗せられなかった。最後にMD-90は多くの性能期待を外した。
ボーイングに買収され、MD-95はボーイング717と改名され、驚くべきことに小型旅客機である「リージョナルジェット」として売り込まれた。販売は比較的少数にとどまり、打ち切られた。
DC-10の物語は、技術的失敗による悲話である。後継のMD-11も運用面での失望を招いた。この機種の終焉はボーイングに利益をもたらしたが、それはボーイングの活動による結果ではまったくない。マクドネル・ダグラスが自滅したのだ。
ポイント:ダグラスは市場で多くの失策を重ね、まずマクドネルによる買収を招き、のちにボーイングへと統合されるに至った。
さらに踏み込むと、コンベアがある。同社は4発の880/990プラットフォームという高速旅客機を設計する戦略を採った。
990の起爆剤となる顧客はアメリカン航空で、長距離国内(transcon)路線をファーストクラス専用として運航し、遅い707は全席エコノミーへ回すという構想だった。990がJFK-LAXの所要時間をほぼ1時間短縮できれば、プレミアムの出張需要にとってアメリカン航空が選好される、というサービス戦略だった。
よいアイデアだった。だが990は技術の「橋」を渡り過ぎた。速度見込みを達成できなかっただけでなく、長距離国内の航続距離も不足した。エンジン後部にファンを置くという問題含みの設計が、アメリカン航空の整備・技術チームに多大な負担をもたらした。


