従業員のエンゲージメントと定着化を再考する
この再定義は、組織が従業員のエンゲージメントや定着化をどう考えるべきなのかという問いに直接影響する。仕事がもはやアイデンティティの器でないとすれば、組織への愛着を深めようとする戦略は的外れになる。人々は、組織に取り込まれることを望んでいるのではない。動き続けることを支援して欲しいのである。
多くの労働者、特に知識労働に従事する人々にとって、雇用はすでに副業、フリーランスの仕事、学習への投資、将来の計画と並存している。仕事は広範なキャリアシステムの中心ではなく、その中の1つのノードになる。この文脈では、データに「安心感」が現れる。安心感は、解雇されたいという意味ではない。一定数の人たちは、仕事が自分のニーズやペース、価値観とずれており、そこから離れることは、自分に対して「リセットする」許可を与えることだと考えるということだ。心理的にはすでに仕事から離れてしまった人々に対して、恐怖、威信、惰性に基づく定着化の戦略は機能しなくなる。
したがって、その場に縛り付けたり、あらかじめ決められた社内の階段を上らせたりすることでは、従業員は定着しない。その代わりに、たとえそれが直線的なキャリアアップや昇進を意味しないとしても、人々が前に進むのを助ける必要がある。現在の役割を超えたキャリアの目標を支援し、成長が頭打ちになったときの出口を用意し、後に新たなスキルや視点、価値を携えて戻ってこられるような入口を設計することが求められる。
ここにこそ、組織が考える「雇用」と、人々が考える「仕事」との間のギャップが生まれる。多くの組織はいまだに、仕事がアイデンティティの中心にあるべきだという前提で役割やインセンティブ、エンゲージメント戦略を設計している。その一方で従業員たちは、学習、副収入、将来のキャリア、仕事以外の意味の源泉など、様々な点を加味し、多層的に職業的な自己を構築している。
その結果、起こってしまうのがミスマッチである。組織が感情的な距離をコミットメントの欠如と解釈する一方、従業員は、それを健全な分離と考える。片方が愛着を期待する一方で、もう片方はすでに前へと進んでいるのだ。
アイデンティティを体現しなくなりつつある仕事に対して、人々が再び愛着を持つことを期待することはできない。声高々に叫ばれる理念や、企業のカルチャーを説明する資料は、成長、自律性、関連性の代わりにはならない。この文脈において、エンゲージメントはもはや忠誠心の問題ではない。成長の問題である。仕事がモメンタムを生み出すのかどうか、そして、組織が現在の成果だけでなく、学習、関連性、将来の価値のためのプラットフォームとして機能しているかどうかが重要なのである。
これは、不誠実な従業員や勤労倫理の低下を描いた物語ではない。スキルが急速に陳腐化し、AIが仕事のあり方を変えるスピードに組織の再設計が追いつかない世界における、合理的な適応の物語である。人々は、彼らの成長を助けてくれないような組織にみずからのアイデンティティを預けることはない。成功する組織とは、コミットメントを要求する組織ではなく、有用であり続ける組織だ。仕事がもはや「私たちが何者か」を定義しないのであれば、意味を持つ組織とは、「次に何者になる必要があるか」という問いの答えを出す手助けをしてくれる組織だけなのだ。


