東南アジアを中心に活動する、事業家・投資家の川尻征司。自身の過去から、日本の大学生向けに給付型の奨学金プログラムを提供している。グローバルにビジネスを展開するなかで気づいた、日本の強み、教育の重要性。プログラムの根底にある彼の哲学に迫る。
2025年7月、「Forbes Colombia」で、「40歳未満のテックリーダーたち」という特集が組まれた。そこに掲載されたひとりの日本人がいた。名前は川尻征司。彼について特筆すべきは、美容師としてわたったフィリピンにて、事業家としての才が花開いた、異色の経歴の持ち主ということだ。
兵庫県芦屋市の美容師一家に生まれた川尻。しかし、父親の株式投資の失敗により家計が破綻。家庭は電気も止められるほど困窮し、川尻も毎朝300軒以上に新聞を配るなど、アルバイトに明け暮れることになる。大学進学をあきらめ、安価な通信教育で美容師免許を取得した。
祖父や父のあとを追うように美容師となった川尻だが、「シャイで、男子校育ちだったこともあり、女性の髪に触れることに慣れなかった」という。技術的なクレームも多く、美容室チェーンを経営するオーナーからは「美容師に向いていない」と断言された。
しかし、オーナーが同時に発した「経営には向いている」の一言が、彼の人生の転換点となる。もともと、経済やビジネスの書籍を読みあさっていた川尻。店舗運営やチームビルディングには興味も得意意識もあり、技術を磨くのはもちろん、人材マネジメントに重点を置くようになった。その過程で、顧客体験設計やリソース配分の重要性を学んだ。
27歳まで美容室の店長を務めたが、当時の日本は「コンビニ並み」といわれるほど美容室が乱立し、価格競争が激化していた。そこで新天地として選んだのが、経済発展が期待されていたフィリピンだ。もともとは、現地に住む日本人女性への出張美容に参入するつもりだったが、その市場は広くなかった。
日本でためてきた生活資金も底が見え始め、帰国も視野に入ってきたときに、ふと趣味で眺めていた不動産情報のなかから、高級コンドミニアムの物件が目に入った。
「日本でも人気のラグジュアリーブランドや海外セレブリティが内装を手がけたコンドミニアムが、日本人にとっては手ごろな価格で売りに出されていたんです。購入可能な物件をSNSで配信すると口コミで広がり、自然と不動産プレセールの事業が始まっていたのです」
3年ほどで約400戸を販売。この成功をもとに、川尻は不動産業、金融業に進出する。今では、成長が期待される世界中のスタートアップに出資する投資家としても広く知られるようになった。

海外で知った日本の強みとこれから求められる人材
海外でのビジネス展開を通じ、川尻は日本の強みを再認識したという。
「日本人の約束を守る姿勢、時間の正確さはビジネスの信頼関係を構築するうえで圧倒的な強みになります。この日本人の性質は、次世代に求められている『グローバルシチズン』(自国のみならず、世界的な課題解決に貢献する人)としても信頼される重大な要素なのです」
一方で、柔軟さも不可欠。他国の商慣習を認めずに、日本的なやり方を押し付けると信頼関係が損なわれる。ルールを事前にすり合わせて、寛容さをもって物事を進める必要があると川尻は指摘する。
もうひとつ、川尻が重視するのは、「体系的な知識」。各国では法律、習慣、宗教観、文化が違う。新しい国でビジネスを展開する際は、国やそこで成功した人を徹底的にリサーチし、弁護士ら専門家と相談しながら基礎固めを行う。川尻は、その際に体系的な知識の必要性をシビアに感じるという。
「私の場合は生の経済を体験しながら、その瞬間に必要な知識を優先的に身につけていったかたちです。入門編も経ずに、応用編から学んだ。それゆえ、知識さえもっていればしないはずの失敗も多く経験しました」
この体験が、奨学金プログラムを提供する公益財団法人「KAWAJIRI FOUNDATION」の創設につながっていく。
視野が広くセンスも感じる学生に奨学金という投資を
2022年に川尻が創設した同財団。奨学金プログラムの特色は大きくふたつ。
まず、対象となるのは、経済学部に在学する学生であること。もうひとつは、返済不要の給付型であることだ。
「財団設立の過程で、想像より多くの若者が経済的な理由から、大学進学をあきらめたり中退したりしていることを知ったのです。そういった環境を改善するためには、これからの日本をつくる人材が集う経済学部の学生に特化すべきだと考えました。給付型にこだわったのも、社会人になってからも返済し続けるのは負担になり、経済的な負のスパイラルを生み出す。それを根本的に解決したかったのです」
選考では志望理由書とオンライン面談を通じて、学生の熱意と目標を確認する。志望理由をしたためた手紙は毎年高く積み上げられるが、可能な限り川尻自身が目を通す。「何を学び、何を取得し、将来どうなりたいか」を明確に語れることが判断基準となる。
これまでに給付した学生のなかで川尻の印象に強く残っているのが、関西地方の大学に通っていた男子学生だ。
「経済学部で学業最優秀賞を複数回獲得し、国内大手の信用調査会社に就職しました。海外にも目を向け、最終的には起業したいと言っていた。話していてもビジネスセンスを感じ、将来を期待できる若者に奨学金を給付できた充実感を覚えました」
現在、財団の年間給付額は1,000万円を超える規模。
「立ち上がって数年の財団ということもあり、ミニマムな運営になっています。それにしても、ニーズに対して奨学金を出せていない。もっと分厚く、継続的に支援できるようにしたい」
川尻の支援活動は、奨学金にとどまらない。運営する表参道のギャラリーでは、有名アーティストではなく、芸大生など若手アーティストの作品を展示している。1階がレストラン、2階がギャラリーという空間ということもあって人が往来しやすく、企業関係者が作品を購入したり、国内有名百貨店で扱われるようになったりと、若手アーティストのキャリアにつながっている。
「私はあくまで場所と機会を提供しているだけです。得意や好きを磨きあげた学生が、チャンスをつかんでいる」
この言葉からわかるように、川尻が若者に伝えたいのは自己理解の重要性だ。
「自分の強みを知ること=自分が好きなことを知ることです。いくら憧れの職業でも、好きじゃないと苦しくなるし、向いてないと結果が出ない。私も建築への興味がきっかけで、美容から不動産業に足を踏み入れました」
そして財団の今後について、こう語る。
「とにかく現状を多くの人に知ってもらいたい。学校に行きたいけど行けない若者がこれほど多くいる。日本の国益を最終的に支えるのは教育です。日本からグローバルシチズンが多く生まれたら、経済も強くなる。教育にアクセスしやすい環境を作る仲間を常に探しています」
海外ビジネスで得た資金を、日本の若者の教育機会へ循環させる。川尻の挑戦は、経済的格差を埋めるだけでなく、次世代が自らの可能性を最大限に発揮できる基盤づくりでもある。
美容師から事業家・投資家、そして教育支援者へ。川尻キャリアの根底には、常に「人の可能性を信じ、支援する」という一貫した哲学がある。
KAWAJIRI FOUNDATION
https://www.kawajiri-foundation.org/
かわじり・せいじ◎美容学校卒業後、大手美容室チェーンに入社。その後、フィリピンに渡り、出張美容をメインに展開。不動産プレセールスをきっかけに事業家へ転身。現在はホテルなどの事業を手がけつつ、スタートアップなどへの投資も行う。



