カナダの経験から一般的な教訓を1つ探すとすれば、カナダの移民制度は、非常に高い水準で民族の細分化(ethnofractionalization)を生み出すよう設計されているという点が挙げられる。少数派の中で多数派となっている文化というものが存在せず、世界中から移民がやってくるのだ。ヨーロッパ諸国の多くは状況がかなり異なっている。カナダと違い、移民の大多数が1つの国や地域から来ているためだ。カナダでは、移民同士の間に共通点が少ない(家に帰れば異なる言語を話し、異なる宗教を実践する)ので、カナダ社会の多数派制度から退出する選択肢が乏しく、移民を主流社会に統合しやすいのである。これは、カナダの移民統合政策の成功の重要な一因で、日本でも容易に真似できるものだ。
他の多くの国と異なり、日本が持つ大きな資産は、アメリカと同様、非常に強力な文化を持っていることにある。世界中の外国人が、日本の文化に強く惹きつけられている。日本は文化製品の輸出に信じられないほど成功しているので、これも、移民統合の基盤として利用できる有利な点になり得るだろう。ドイツの文化に惚れ込んでドイツに移住する人はいないが、何千もの外国人が、日本の文化に惚れ込んだというだけで日本に来ようとしているのだ。
——今日、世界は動乱の時期に突入したかのように思える(ウクライナ戦争、イスラエル-パレスチナ紛争、第二次トランプ政権など)。この不確実で分極化したグローバルな環境の中で、リベラル・デモクラシー(自由民主主義)は生き残れるか。
デモクラシーは、市場経済と同様、敵対的システムとして編成されている。つまり、デモクラシーにおいては、人々がいくつかの集団に分かれて、互いに競い合うよう促されているのだ。いかなる競争的なインタラクションも、時とともに劣化していく傾向にある。なぜなら、誰かが新しく突拍子もない戦略を見つけて競争上有利になっても、それが競争の全般的目的に資するとは限らないからだ。
例えば、ビデオゲームでプレイヤーたちが「バグ技」を発見した際にどうなるかを考えてみればよい。こうしたことがあるため、敵対的なシステムの多くは、折に触れて、システムにとって望ましくない戦略を排除するよう、ルールを調整する必要がある。例えばビデオゲームでは、バグ技を排除するためによくパッチが当てられる。
市場経済でも、規制の内容は変化していく。スポーツのルールですら、健全な競争を維持するために、時が経つごとにアップデートされていく。だがデモクラシーの場合、こうしたアップデートをかけることは難しい場合がある。敵対的なシステムの外側でシステム全体を統制し、ルール変更を行えるような主体がいないことが多いためだ。そのため、デモクラシーにおいてはバグ技が時とともに蓄積していき、システムが着実に劣化していく。これはリベラル・デモクラシーにとって深刻な課題だ。
とはいえ、リベラル・デモクラシーに対する代替案がそれほど魅力的に見えるわけでもない。デモクラシーの本質的な特徴の1つは、指導者が国家権力を利用して権力の座に留まることを防ぐ点にある。大きな力を得た者が、それを手放すことをひどく嫌がり、自らが権力の座に居座っても社会に対して生産的な貢献を行えないことに気づけなくなる、というのは、恐らく人類の普遍的な特徴の1つだ。
例えば中国は、国家主席の任期に制限を設けることでこの問題に対処しようとしたが、習近平は憲法を改正して、自身が国家主席の座に一生留まれるようにしてしまった。アメリカは現在、憲政秩序が完全に崩壊しているが、ドナルド・トランプが2028年以降も大統領の座に居座り続けられる可能性は依然として低いように思える(どうなるかはまだ分からないが)。デモクラシーが、独裁者を権力の座から取り除くという最低限の機能を果たせる限り、デモクラシーを求める声は常に存在し続けるだろう。


