——ヒース教授は一貫して、資本主義は理想的なシステムではないが、私たちに利用できる中では最良の経済システムだと論じている。なぜそう言えるのか。
私の考えでは、中心的な論点は、市場経済が価格決定のために競争を利用していることだ。これは、市場の中心的な利点である。価格競争は、さもなくば近似的に推定することしかできないような、需要と供給の情報を明らかにするからだ。これはソ連の経済システムの中心的な弱点でもあった。ソ連では価格を直接的に計算していたので、莫大な非効率性が生じてしまったのである。この点で、市場の利点はあまりに圧倒的で、社会主義を支持する理論家たちですら、市場のこうした特徴を残そうとするほどだ。言い換えると、社会主義的な経済の再編を目指す真剣な提案の大半は「市場社会主義」システムだが、これは市場による価格決定という特徴をそのまま残している。
とはいえ、競争は資本主義の非理想的側面の中で最も重要なものでもある。日常生活で課される道徳的義務のほとんどは、私たちに対して協力するよう求める。そのため、ビジネス上のライバルや同じ立場の消費者たちと、互いに競争すべきであるという主張は、多くの人にとって非倫理的なものに映る。ときおり、日本語の「競争」という言葉は、福沢諭吉が経済学の教科書を翻訳する際に作った造語であり、日本に昔からある概念ではない、ということが言われる。だが、もちろん「競争(competition)」というのは西洋においても伝統的な概念ではない。キリスト教の教義は競争にいかなる位置も与えていないし、競争を非倫理的なものと見なす傾向にある。18世紀、バーナード・マンデヴィルは、ヨーロッパ社会を震撼させる主張を行った。経済というのは普通の世界とあべこべになっていて、伝統的な悪徳が美徳となり、美徳が悪徳となるのだ、と論じたのである。
少なくとも、市場競争には道徳的妥協が伴う。理想的な経済では、私たち全員が喜んで貢献を行い、社会の富を増やすために自らの役割を果たし、その貢献に相応の報酬を得る。問題は、こうした協力的な経済は端的に言って、小規模な共同体を超えた規模で組織化するのがきわめて難しいということだ。


