『海の彼方』は、石垣島に暮らす88歳の台湾人、玉木玉代(日本名/台湾名は王玉花)とその家族、親族たちをインタビューを交えて活写しつつ、玉代の人生から八重山諸島の台湾移民の歴史を浮かび上がらせたものである。
このドキュメンタリーの特色は二つ。一つ目は、玉代の孫である玉木慎吾の一人称でナレーションが進行していくことだ。日台ハーフで、ずっと東京を拠点としてバンド活動(ヘヴィメタル・バンド SEX MACHINEGUNSに2007年よりサポートメンバー、翌年正式メンバーとして参加)で生計を立てている若い世代の視点から、台湾移民である祖母・玉代の生涯に初めて光が当てられていく。「なんで自分は台湾について考えることができんかったんだろう」という彼の言葉が印象的だ。
もう一つは、玉代の米寿の祝いとその後の台湾旅行という一連のイベントが、ドキュメンタリーに自然なストーリーとして組み込まれていることだ。これによって、玉代本人だけでなく日本在住の親族と台湾在住の親族の生の言葉を拾い上げることに成功している。
青果店を営む次男夫婦と同居する玉代の米寿を祝うため、沖縄列島を中心として全国に散らばっている親族が集まってくる。子ども7人、孫27人、ひ孫40人。店の前の路上で遊ぶ幼いひ孫たち。「毎年増えてくから」と明るく語る四女。
パーティに向けての準備で慌ただしくも賑やかな雰囲気の中、インタビューに応じた中高年の息子や娘たちが、母への思いや、受けてきた台湾人差別について淡々とした面持ちで語る。いじめがあって台湾人であることを隠してきたという次男。「日本人以上に日本人らしい台湾人になろうとした」と告白する三男。日本人男性と知り合った長女は相手の家族の反対に遭い、駆け落ちした。
戦後27年間アメリカ軍の支配下に置かれた沖縄で、台湾移民はずっと国籍が曖昧な状態に放置され、高額の手数料を払ってようやく日本国籍を取得できたのは返還後だ。次女は「沖縄を返せ」と訴えるデモに参加したと語る。
玉代自身は、夫と共に石垣島の台湾村に渡って農業に従事し、終戦と共に帰国したが、二年後治安悪化を逃れて闇船で再び村に戻る。ソバ屋を始めた夫が44歳で他界した後、子育てしながら一人で店を切り盛りし苦労を重ねた玉代の、日本語と中国語の混じった口数はそれほど多くない。落ち着いてインタビューに答えるといった場面もない。
その代わり、家の中をあちこち動き回り、せっせとモヤシのひげを取り、孫たちに中華そばをふるまう姿が捉えられている。激動の東アジアの近代史に揉まれながら、日本の最南端で働き続けて家族を支えてきた一人の台湾人女性の、「なんで私はこんな運命かな」という呟きが重い。
子どもたちの創意工夫を凝らした盛大なパーティが終わり、翌春、渋る玉代を説得して台湾・埔里鎮への旅行が実現する。同行するのは長女とその息子、次女とその息子(慎吾)の四人。初めて会う玉代の親戚と台湾語を話さない彼らは言葉が通じないが、孫たちはスマホの翻訳アプリでやりとりする。
そんな中、もてなしてくれた甥からのお祝い金を「私が来ただけでお金がかかってるのに」と固辞する玉代の態度から、家族、親族を捨て、駆け落ち同然で日本に来たことへの申し訳なさのようなものが窺われる。それはずっと彼女が、錘のように心の奥底に抱えてきた、なかなか言葉にはできない感情なのだろう。
印象的なのは、歩き疲れた玉代を慎吾がおぶった時、玉代が突然「兵隊さんの歌」という日本の歌を歌い出す場面だ。日本統治下の台湾で、玉代は母の背におぶさってその歌を聴いたのかもしれない。次いで玉代は台湾の歌を歌い出す。生まれた時は既に祖国が日本に併合されており、結婚後は八重山諸島・石垣島で暮らすことになった玉代の中で、台湾と日本はどんな地図を描いていたのか?と考えさせる場面である。またそこから、「自分は何人なのか」というアイデンティティの揺らぎを抱えて生きてきた次世代たちの姿も浮かび上がってくる。


