——ロースクールを卒業したが法曹資格を取得できず、排外主義とポピュリズムを煽っている参政党を率いる神谷宗幣は、カウンターエリートの典型に見える。彼はカウンターエリートなのだろうか?
たしかに、神谷宗幣は、カウンターエリートの定義に当てはめることができるだろう。
——しかし、日本ではエリート官僚を志願する人は減っている(高級官僚の登用試験の競争率は低下傾向だ)。弁護士の収入分布もアメリカのような富める少数派と、困窮する多数派に二極化していない。日本でもエリート過剰生産は進行しているのか?
日本でもエリート過剰生産は進行中であり、構造的に重要な問題であり続けている。これはいくつかの指標で実証されている。
代表的な代理指標は、博士号取得者と非常勤講師の増加だ。これよってアカデミアの労働市場を、深刻に不安定化させている。博士号取得者の人数は、最近になって減少したが、取得者が就ける職の数も減少している。1970年代と比較すると、日本は制度的に吸収できる人数をはるかに超えた博士号取得者を排出し続けている。結果、狭まり続けるキャリアパスを求めて競争する高度な資格を持つ人材が余る状況が続いている。
同じダイナミクスを、官僚機構でも見ることができる。公務員ポストの採用競争率は、ピークからやや低下したが、それでも過去数十年と比べると、以前としてかなり高い水準にある。
これらから、日本ではエリートの地位が構造的に飽和状態にあるだけでなく、若年層世代がエリートの地位から長期的に排除されていることがわかる。その結果、世代的な断絶が生じており、幅広い不満と政治的幻滅が生み出されている。
日本はおそらく、世界で最も高齢の億万長者層を抱え、団塊世代のエリートが政治・行政・企業の要職を支配し続けているため、若年層のエリート志願者の上方への流動的移動が制限されている。さらに、立候補時の供託金制度の引き上げも証拠として挙げることができる。この引き上げは、政治エリート志望者間での競争が激化していることを示している。こうした傾向にもかかわらず、識者の多くは、日本とアメリカを比較して「日本の状況は良く、安定している」と結論付けている。こうした比較には問題がある。適切な分析には、日本自身の歴史的な軌跡を分析しないといけない。令和の日本では、昭和に比べて、構造的圧力が深刻であることが明らかになっている。


