ミーティングは、仕事を形作る場であるはずだった。決定をより明確にし、リスクを浮き彫りにし、アイデアを試すべき場だった。ところが今や、多くの企業のミーティングはそれとはまったく別物だ。まるで台本が存在しているかのように、出席者たちは、自分が何を言い何を言わないかをわかった上でやって来る。結論も、あらかじめ決まっているように見える。
こうしたミーティングで繰り広げられるのは、対話ではない。パフォーマンスだ。
こうしたミーティングでは、出席者は問題に向き合うよりむしろ、印象を管理しようとする。足並みがそろっていることを示し、自分の能力をアピールし、摩擦を避ける。出席者はみな、話し合われた内容を書き取ったメモを手にして会議室を出るが、その後に何かが変わることはほとんどない。ミーティングが開かれても、仕事は先に進まないのだ。
こうしたシフトは微妙なものだ。だからこそ簡単に広がっていく。
ミーティングが「対話」から「パフォーマンス」へと変わる時
ミーティングがパフォーマンスと化すのは、出席者たちが、何かを理解し納得するために発言することを止め、シグナルを送るために発言するようになった時だ。発言は、自分が準備を整えてきたこと、情報を持っていること、協調姿勢があることを示すために行われる。前提に対して異議を唱えたり、不確実さを明るみにしたりするために発言が行われることは滅多にない。
こうした状況は得てして、善意から始まる。リーダーは、ミーティングを効率的に進めたいと考えている。異議を唱えれば、進行を遅らせる行為とみなされる。そうして時間とともに、効率性は円滑さを意味するようになり、円滑に進めること自体が目的となっていく。
出席者は、ミーティングにおける行動のサインを学習していく。一見、気が利いているようだが実は安全な質問をするようになる。すでに決まっている方向性を、さらに強化するコメントを口にする。本当に懸念している事柄があったとしても、ミーティング以外の非公式な場で話し合うために取っておく。そのようしてミーティングは、全員が自分の役割を演じる舞台へと変わっていくのだ。
結果として失われるのは、探求だ。「探求のプロセス」には、生産的と感じられようになる前に、ぎこちない段階もあるものだが、そうした段階が失われてしまうのだ。



