ダボスの会場では、ほかにも複数のアート作品が異空間を演出していた。マリーナ・アブラモヴィッチの『THE BUS』は、スピードや生産性などに支配された世界で意図的に立ち止まり、呼吸し、今ここに戻るための場を生み出していた。JRによる『Wrinkles of the City』(都市の皺)は、高齢者の肖像画を公共のアートに変え、記憶と歴史の意味を問いかけた。タイス・ビアステーカーの『Forestate』(森林化)は、ユネスコが認証した『グローバル・フォレスト・ウォッチ』のデータを彫刻作品へと変容させた。

『Human Atmospheres』の前で得た、他者との境界が曖昧になる感覚。それは、カーニーが訴えた「連帯」の最も原初的な形だったのかもしれない。ファウラーは言う。
「アートは意味のある対話を促進するうえで中心的な役割を果たす。なぜなら、アートは人々が言語やデータ、立場を超えてつながる空間を創り出すからだ」(ファウラー)
今回のダボスでは、相容れない感情やメッセージが飛び交った。同意することの難しさにも直面した。「対話の力」はどこに行ったのか。そう思う瞬間も少なくはなかった。
だが、5日間を終えて考えが変わった。同じ時期に、同じ場所に立ち、自らの考えや意思を表明すること。そこから対話が始まるのだ。国家元首やリーダーたちの話を聞き、それに対して自らの意見を述べ、参加者同士で対話を重ねる。メッセージを自分なりに咀嚼し、対話を通じて理解を深める姿に、時と場所を共にすることの意味を見出すことができた。
世界秩序の断絶と、人間を凌駕するAI出現の可能性。私たちは今、人類の営みがドラスティックに変わる転換点にある。古い秩序は、もう戻らない。
日本に帰国した今も、多くの問いが日々語りかけてくる。世界は揺れ動いている。だが、揺れ動く場所には常に生命の息吹がある。生命が息づくところにのみ、希望は宿る。
私たちに求められているのは、社会と、そして自らの内面との対話だ。対話を重ねた先に、新たな秩序とより良い世界の輪郭が浮かび上がると信じたい。


