だからこそ、ドイツ軍がコペンハーゲンに突如侵攻してきた1940年4月9日の朝、ボーアはその場にいない2人の同僚のノーベル賞メダルのことが心配で気が気ではなかった。
ヘヴェシーは1962年に出版された著書『放射性同位体研究の冒険』の中で、こう回想している。「メダルを地面に埋めることを提案したが、ボーアは嫌がった。掘り起こされる恐れがあったからだ。そこで、溶かしてしまおうと決めた」
ノーベル賞のメダルは18金製だ。重量は1個あたり196gだった。金の融点は約1000℃だが、メダルを溶かしても約400gの金塊が残る。ナチスがそれを発見すれば、おそらく銃を突きつけて厳しい尋問を行うだろう。ヘヴェシーは金メダルを完全に消滅させる必要があった。
金は溶解が極めて困難な金属として知られる。銅や銀、鉄といった他の金属のように酸化しないからだ。この難題を解決できる数少ない物質のひとつが「王水」と呼ばれる硝酸と塩酸の混合液である。ドイツ軍がコペンハーゲン市内を行進する足音を聞きながら、ヘヴェシーが研究所の実験室で調合していた溶液こそ、この王水だった。

ボーアの予想通り、ナチスは研究所を捜索した。その間ずっと、2つのノーベル賞メダルはヘヴェシーの研究室の棚に堂々と置かれていた。兵士たちが酸の溶液中に浮かぶ微小な金原子を目視できていたなら、状況は変わっていたかもしれない。だが、彼らが見たのは、実験室の棚の上にオレンジ色の液体の入ったガラス瓶が置いてあるという、ありふれた光景でしかなかった。そこには何の違和感もなかった。
戦争終結から7年後、ラウエとフランクはようやくノーベル賞メダルを取り戻した。1950年にヘヴェシーは酸溶液から金を沈殿させ、分子レベルまで分解されたメダルを(ノーベル物理学賞の選考委員会がある)スウェーデン王立科学アカデミーに返還したのである。その2年後、フランクは米シカゴ大学での式典で再鋳造されたメダルを受け取り、史上初めて同じノーベル賞を二度受賞した人物となった。


