ナチスはなぜ現代物理学を憎んだのか
1930年代には多くの科学者が、身の安全と学問の自由を求めてドイツを逃れた。ラウエはベルリンで、友人の化学者オットー・ハーンと共にできるだけ多くのユダヤ人科学者の国外脱出を支援。そのうち何人かは少なくとも一時的にコペンハーゲンにある理論物理学研究所を頼り、ボーアの援助で外国に常勤の職を見つけるまで、そこで研究を続けることができた。これは米ロックフェラー財団のフェローシップによって支えられていた。
1930年代、理論物理学研究所にはフランクの他、放射性炭素年代測定の先駆者であるヒルデ・レヴィ、戦時中に連合国のレーダー開発に貢献したアーサー・R・フォン・ヒッペル、マンハッタン計画に従事し、後に水素爆弾を開発したエドワード・テラーらが在籍していた。
ドイツに残ったラウエは、学界でナチス政権への反対姿勢を示そうとした(が、長期的にはほぼ徒労に終わった)。ナチスは反ユダヤ主義政策の一環として、量子力学や原子物理学をはじめとする理論物理学のほとんどを敵視し、排斥に動いていたのだ。
それは、20世紀初頭に理論物理学を牽引した中心的な科学者たちの幾人かが、アインシュタインを筆頭に、たまたまユダヤ系だったからだ。ナチスはもちろん、光の波動は発光性エーテルと呼ばれる不可視の物質を介して伝播するという理論を唱えてキャリアを築いてきた守旧派の物理学者たちも、この現実を到底受け入れられなかったのである。
(余談だが、ドイツから逃れた著名な科学者のうち複数名が、原子爆弾の開発・製造を目指したマンハッタン計画に携わることとなった。ナチスの反ユダヤ主義に基づく人種差別政策は、それ自体が恐ろしい人権侵害だっただけでなく、自国ドイツの安全保障をも著しく損なったのだ。なお、現在の米国の政策は同じ轍を踏んでいるのではないかと一部の識者は指摘している)
ノーベル賞メダルを「完璧に隠す」という難題
ナチ党の方針に公然と反対したことにより、ラウエは政府に睨まれ、複数の学術的地位を失った。ベルリン大学の教授職に加え、1922年からドイツ帝国物理工学研究所(PTR、現ドイツ国立物理工学研究所:PTB)の顧問を務めていたが、著名なナチス科学者のプロイセン科学アカデミー入会を阻止しようとしたことへの報復として職を解かれた。
だが、もしボーアに託したノーベル賞メダルがナチスに見つかっていたなら、ラウエはさらに深刻な危機に陥っていただろう。ナチス政権下では、金(ゴールド)を国外に持ち出す行為は反逆罪に次ぐ重罪だった。ラウエの名前がしっかりと刻まれたメダルをドイツ兵が発見してしまえば、彼は投獄どころか即座に処刑されていたかもしれない。


