サイエンス

2026.01.26 16:00

ノーベル賞メダルを独裁者の手に渡すな ナチスに抵抗した物理学者たちがとった驚きの手段

共にドイツ生まれのユダヤ系物理学者でノーベル賞受賞者のジェームズ・フランク(米シカゴ大学教授)とアルベルト・アインシュタイン(プリンストン高等研究所教授)。1954年10月4日、米ニューヨークにて(Bettmann Archive/Getty Images)

この2つのノーベル賞メダルは、ドイツの物理学者マックス・フォン・ラウエとジェームズ・フランクに授与されたものだった。2人は、母国を国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が掌握しつつあった1933年、デンマークの物理学者ニールス・ボーアにメダルを託していたのだ。

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「これ、預かってくれないか?」

ジェームズ・フランクは量子論を実証した実験により、1925年のノーベル物理学賞をグスタフ・ヘルツと共同受賞した。8年後、ドイツで政権を掌握したナチスは、ほぼ即座にユダヤ人を公職から追放する法律を可決した。その対象にはフランクら国公立大学の教授も含まれていた。フランク本人はユダヤ系ながら第一次世界大戦に従軍した経歴があったため、厳密には新法の適用外とされていた。しかし、フランクはナチス政権の措置に激怒し、ゲッティンゲン大学の職を辞した。

(これは堅実な決断だった。2年後の1935年、ナチス政権はいわゆる「ニュルンベルク法」を制定し、ユダヤ人やロマ、有色人種、移民からドイツで市民生活を営む権利を剥奪したからだ。市民権や大半の法的権利が奪われた。退役軍人という身分だけでは、フランクはきっとニュルンベルク法やその後に続いた恐怖政治から逃れられなかっただろう)

抗議の辞職後、フランクは公職を追放された元同僚たちがナチスの手の届かない安全な外国で新たな職を見つけるのを支援するのに必要な期間だけドイツに残った。それからデンマークへ逃れ、ニールス・ボーアが率いる量子物理学研究の権威ある拠点、理論物理学研究所に身を寄せた。そして1934年に米国へ渡り、のちにマンハッタン計画に参加するのである。ノーベル賞のメダルは、亡命の過程でボーアに預けた。

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スウェーデン・ストックホルムのノーベル賞博物館に展示されているノーベル賞のメダル(レプリカ)。(Shutterstock.com)
スウェーデン・ストックホルムのノーベル賞博物館に展示されているノーベル賞のメダル(レプリカ)。(Shutterstock.com)

一方、マックス・フォン・ラウエも1933年にボーアの理論物理学研究所を訪れたが、フランクとは異なり、母国へ戻ってベルリン大学で研究を続けることができた。本人も家族もユダヤ系ではなく、ナチスからドイツ市民とみなされていたためである。ラウエはこの比較的安全な立場から、公的にも秘密裏にも可能な限り体制に抵抗した。だが、X線回折現象の発見で1914年に受賞したノーベル物理学賞のメダルは、デンマークを離れる前にボーアに託していった。

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翻訳・編集=荻原藤緒

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