経営・戦略

2026.02.04 13:15

ソニー創業者はマイナス思考、元側近が「ビジネスは大抵うまくいかない」に学んだこと

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元ソニー常務である郡山史郎氏は、ソニー創業者盛田昭夫、井深大の側近としてその仕事や生き様を間近で見続けてきた。 郡山氏はソニーを去ったあと、66歳で人材派遣会社の「新入社員」となり、68歳で人材紹介会社を起業し、21年間で約5000人を超える方々の転職をサポートしてきた。

90歳を迎えた氏は、新著『君の仕事は誰のため?』(青春新書インテリジェンス)で「僕はやっと『働くこと』の意味がわかった」と書いている。同書に書かれた、「働くこと」に絡んだ、氏なりの真理とは、盛田氏から学んだこととは。

以下、同書からその一部を転載で紹介する。


仲間がいるから、実力以上の結果が出せる

1973年、私はアメリカのシンガー社に転職したあと、1981年にソニーに戻り、厚木工場の情報機器事業本部に着任した。開発部門、製造部門にはアメリカ時代に苦楽をともにした懐かしい仲間たちがいた。

厚木工場は、テレビ局や学校で使用する業務用ビデオ機器やカメラを開発・製造する拠点だった。私は1964年に渡米し、盛田さんのカバン持ちからはじまって、やがて業務用機器の責任者となり、厚木でつくった製品を抱えてアメリカ中を駆けまわった。

業務用機器ビジネスは、顧客の注文どおりの機器を製造・販売することで成り立っている。そのため、開発・設計担当とセールス担当が一体となったチームプレーが求められる。

チームの仲間と呼べるのは、厚木工場のメンバーだった。

私が売らなければ、彼らは日本で肩身の狭い思いをする。私が失敗すれば、チーム全体が沈んでしまう。だからこそ、「もっと売れる製品をつくれ」「そっちこそしっかり売れ」と海を越えて年中やりあっていた。アメリカに一人でいても、彼らとは同じチームに属している"運命共同体"の意識があった。

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厚木に戻って驚いたのは、当時一緒に働いた仲間が、部課長クラスに昇進し、多くが要職についていたことだった。そのため、新任の上司ではあっても、仕事は実にやりやすかった。

しかし、ソニーの本流はテープレコーダー、テレビ、ビデオなどの家庭用製品で、業務用の事業規模は1割程度に過ぎなかった。本社から見ると、厚木は規模が小さいうえに「勝手なことばかりしている」という距離感があった。厚木のメンバーにも「自分たちは会社のメインストリームから外れている」という自覚があったが、それがかえって結束力を強めてもいた。

そんな"離れ小島"に、事情を知らない上司が来たらやりにくくなるだろう――みんながうっすら不安を抱えていたタイミングで、「あの郡山が戻って来るらしい」というウワサが流れたから、歓迎されないはずはない。

「あの頃のように、またガンガン売ってくれる」

「厚木らしい製品がつくれる環境になる」

そんな期待もあったのだろう。

シンガー時代には感じなかった仲間の存在。チームとして働く手ごたえ、仲間がいることの心強さを、私は再びソニーに戻って実感した。

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文=郡山史郎

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