行動経済学を理解すれば、あなたの選択も変わるはずだ。
想像してみてほしい。あなたはとてもお腹がすいている。しかし、騒がしくて不快だがおいしい料理を出すレストランと静かで清潔だが料理はまずいレストランのどちらかしか存在しない。その場合、あなたはどちらを選ぶだろうか。「どっちもどっちだ」と、多くの人は言うだろう。
しかし、そこに静かで清潔だがさらに料理がまずいレストランが出てきたらどうだろうか―。その瞬間、あなたは、静かで清潔だが料理はまずいレストランを選ぶのではないか。
これは、いわゆる「おとり効果」として知られているものだ。人は“引き立て役”がいると、実際より高く評価してしまうのである。
主流派の経済学者は伝統的に「人間は経済合理性にもとづいて行動する」と考えてきた。しかしプリンストン大学の心理学者ダニエル・カーネマンとスタンフォード大学の故エイモス・トベルスキーの手で創始された行動経済学の研究者たちは人間が経済合理性から逸脱する実例を次々と発見し続けている。「おとり効果」もその一例だ。
その他にも、教室やロッカーを目にした人々の方が、学校の資金調達にいくぶんか協力的になるなど、連想を通じて人の価値評価を変えるという「プライミング効果」。カーネマンとトベルスキーが発見した有名な例で、「600人中400人を救う疫病対策」が「600人中200人を犠牲にする対策」よりも人々から支持されたという、選択肢の提示のされ方によっても人の価値評価は影響を受けるという「フレーミング効果」などがある。
主流派の経済学者たちはこうした考え方を受けいれられずにいるが、行動経済学者が優勢なのは明らかだ。
ただその彼らでさえ、「人間の情報処理は経済的に合理的ではない」と喝破するとき、「本来は合理的であるべきなのに」という前提で語りがちになる。そして、経済理論に従わない意思決定のプロセスに対して「誤り」という言葉を使うのである。合理的な経済モデルが「正しい」決断を導くことを前提にしなければ、人間の思考プロセスが「誤った」決断を導くという言い方もできないはずだ。
なぜなら、「人間は誤った意思決定を行いがちだ」という考え方の核心には、“意味のある情報”と、“雑音”は明確に区別できるという信念がある。しかし、自身の経験からわかるように、どの情報に意味があるかは、意外に不明確だ。
テンプル大学意思決定研究所の心理学教授ドナルド・ハンチュラは、二者択一のときには“雑音”だったものが、変わり続ける環境下で生物が繰り返し、生命を持続させることを追い求める際に、意味ある情報になることもあると言う。「おとり効果」に対する弱さは、進化の試練に耐えてきた、数ある「不合理な」意思決定戦略の一環とも言える。
「人間の“意思決定の誤り”を強調する研究論文を読むと、人類はただのバカだという結論に至りがちです。私はそれには賛成できません」
(中略)
人間は少なくとも自分が何をしているのかを理解できる。
逆説的ではあるが、自分が判断をまちがえる経済的不合理な存在だとわかっていれば、それを前提に考えることで他人に操られずにすむとも言えるのである。
※フォーブスジャパン9月号にて全文掲載。