「分業」が生むのは孤立か連帯か 「依存」とは何が違うのか

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いま捉え直すべきは、分業や連帯そのものよりも「依存」ではないか。NHKテキスト『100分de名著 デュルケーム「社会分業論」』のなかで、講師の芦田徹郎さんは、個人が自律しながら連帯する社会は「依存先を増やすこと」で成立すると説きます。デュルケーム自身も後年、分業論から「人間」という概念へと関心を移し、孤立した個人をつなぐ基盤として人間的共感や中間集団の重要性を構想しました。

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芦田さんはこの文脈で、小児科医・熊谷晋一郎さんの経験を紹介します。東日本大震災のとき、停電でエレベーターが止まり、車椅子の彼は建物から出られなかった。ほかの人には階段や非常用設備など複数の避難ルートがあるのに対し、自分にはそれが一つしかない。この経験から、自律とは依存先を増やすことだと実感したといいます。

社会的に弱い立場にある人ほど依存の選択肢が少なく、孤立した自律を強いられる。一方で「自律している」と見なされる人ほど、多くの制度や技術に支えられています。相互依存を認識することで、わたしたちは生産性ではなく、関係性を維持・継承する行為として仕事を評価できるようになる。その循環のなかで、「自律した個人が連帯する社会」が立ち上がるのかもしれません。

本連載では、時間や手間、ケアやメンテナンスといった、ラグジュアリーの文脈でこれまで見えにくかった関係的な営みに光を当てて議論してきました。今回「分業」というレンズで見つめてみると、質の高いものづくりを支えるのは、生産性による結びつきではなく、相互依存の肯定による連帯ではないかと改めて強く感じます。

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誰かと関わることで、「この人となら、こんなことができるかもしれない」という想像が広がる。その連なりがあってこそ、新しい表現や価値が生まれるはずです。

歌麿に話を戻すと、彼が絵師としての出世コースである肉筆画に100%転向せず、最後まで版画に関わり続けたというエピソードがあります。展示の解説には「制限ある環境下での挑戦により惹かれたのでしょう」とありましたが、わたしには、彼が「自分への挑戦」よりも、彫師、摺師、版元、狂歌の文化人、吉原の人々といった他者との関係の中に生まれる「想像力」の方に面白みを感じていたからこそ、現場に戻り続けたのではという気がしてなりません。

安西さん、「分業」と「依存」の再解釈について、いまどんなことを思われますか?

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文=前澤知美(前半)、安西洋之(後半)

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