歴史的なパターンは一様ではない。1986年のフィリピンや「アラブの春」の一部のケースでは、発砲しないという軍の判断が決定的だった。他方、2011年以降のシリアや2020年のベラルーシでは、国際的な圧力にもかかわらず治安部隊は体制への忠誠を保った。結果を決めた要因は外部の脅威ではなく、内部の力学だった。
条件3:正当性の問題
イランで1999年以降に発生した抗議運動はことごとく、体制側が最も当てにできる対抗策にぶつかっている。それは、国内の異議申し立てを「外国の謀略」にすり替えるリフレーミングである。これにより、ナショナリストやその他、現体制には反対なものの外国の介入にはそれ以上に反対する立場の人々を引き剥がし、国家に対して形成されつつある連合ばらばらにする狙いだ。
イランの政権が外国の介入への懸念を利用できるのには歴史的な背景がある。米中央情報局(CIA)と英秘密情報部(MI6)は1953年、石油を国有化したモハンマド・モサデク首相の政権転覆を画策し、「アイアス作戦」を遂行した。これにより、イランではおよそ300人が死亡、モサデクは失脚してシャーが復権し、秘密警察SAVAKに支えられたその統治が1979年まで続くことになった。こうした歴史的経緯から、外国の干渉はイランの政治においてタブーになっており、現在の体制に反対の立場の人々でさえそう見なしている。
今回の反政府デモは経済的不満から始まった。通貨リアルの対ドルレートが1ドル=約145万リアルまで下がり(2015年の水準からおよそ95%下落)、インフレ率が42%を記録し、とくに食品価格は72%上昇したとされるなかで、首都テヘランのグランドバザールは店を閉めた。「ガザでもレバノンでもなく、わたしの命はイランのため」といったスローガンは、地域介入に対する国内のいらだちから生まれた。こうした経済的根拠は現在の抗議デモに、もっぱら政治的な理由によるデモには欠けていた正当性を与えている。
トランプによる露骨な軍事的威嚇はイランの政権に対して、「主権を守る」というナラティブ(物語)を構築する材料を提供している。トランプが冒頭の投稿をしたのと同じ10日、オマーンの外相がイランのマスード・ペゼシュキアン大統領との協議のためテヘラン入りした。オマーンは2015年のイラン核合意につながった裏ルートを仲介した国である。騒がしいチャンネルと静かなチャンネルの併存は、外部からのどのような関与が有効なのかについて、相反する理論があることを反映している。


