米国の例外主義は、今日ではしばしば、古臭いものや傲慢さとして退けられる。しかし実際には、そのどちらでもない。自由、市場、そして個人の責任に根差した特定の制度が、人類史上のいかなる代替案よりも、多くの人々に、より多くの機会をもたらしてきたという、実践的な観察にすぎない。
そして、その制度の中心にあるのが「アメリカンドリーム」である。
伝統的に、この言葉は、出自にかかわらず、すべての米国人が、自らの才能、野心、そして粘り強さによって成功できることを意味してきた。近年では、そこに金融的な側面も加わっている。すなわち、住宅を所有し、家族を育て、豊かな生活を送り、安心して引退できるだけの余裕を持てるという考え方である。
どちらの見方も妥当である。そして働き、貯蓄し、投資する意思と能力を持つ人にとって、上記のどれもが依然として実現可能である。
しかし、人類史上もっとも繁栄し、自由で、機会に満ちた国家に暮らしているにもかかわらず、多くの米国人、とりわけ若年層は、自国に対して驚くほど暗い見方を抱いている。
世論調査会社のギャラップによれば、「米国人であることを非常に誇りに思う、あるいは誇りに思う」と答えた米国の成人は、2004年の90%から低下し、過去最低の58%となった。Z世代では、その割合はわずか47%にまで落ち込んでいる。これは単なる世代間ギャップではない。自信の危機である。現在、米国人のおよそ70%が、アメリカンドリームはもはや達成不可能だと考えている。
しかし、その悲観論は大きく的外れである。
米国の例外主義を理解するには、一歩引いて考えることが有益だ。



