米国政府が答えていない問い
ウェストバージニアのような場所での反対は、水不足だけではない、より深い懸念を反映している。プロジェクトは交渉力が限られた地域に落ち着きやすく、地域資源を大量に使い、恒久的な雇用はほとんど生まず、経済的価値の多くを、受け入れ地域から遠い企業本社やテック拠点へ送ってしまう。
同州の石炭産業の歴史を考えると、このパターンには既視感がある。かつての露天掘りと同じように、外部の企業がやってきて地域の資源を使い、利益を持ち去っていく──という構図だ。しかし、この比較は本質を見誤っている。石炭は掘れば枯渇する有限の資源だったが、データセンターはそうではない。「デジタル版の露天掘り(digital strip-mining)」という印象を生んでいるのは、資源の性質ではなく、プロジェクトの立地選定や統治のあり方なのだ。
効率改善は助けになるが、中心的な課題である「規模」には対処できない。水が乏しい地域では、個々の施設が効率化しても、総消費量は増え続ける。資源の乏しい地域社会がコストを負担し、資金力のある地域はより厳しい条件を課すか、プロジェクト自体を拒む。
国家戦略上のインフラが断片化した地元交渉を通じて建設されると、結果は予測どおり、最も交渉力のある地域に有利に働く。裕福な地域社会は条件を厳格化するか、受け入れを拒否できる。選択肢の少ない地域は、より小さな便益と、より大きなリスクを受け入れる。
では、このパラドックスをどう解消するのか。
選択肢は、AIの主導権と地域の水の安全の二者択一ではない。本当の問いは、米国が、かつて高速道路、発電所、パイプラインに適用したのと同じ真剣さで、デジタルインフラを計画する意思があるのかどうかだ。
水が、後回しではなく1次的制約として扱われるまで、水は、AI経済の次の段階がどこで──そして拡大できるのかどうかを、静かに決め続けることになる。


