研究者はまた、快適さの「ずれ」も重要であることに気づいたが、そこには1つの重要な但し書きがあった。よりサンプル数の多かった個人データの場合では、自分自身の快適さとパートナーの快適さとの間に大きな差があると認識している人ほど、関係のウェルビーイングが低いと報告する傾向があった。
しかし、カップル全体としての快適さの水準を考慮に入れると、このずれによる悪影響は一貫しなくなった。つまり、愛情表現の量について完全に一致していなくても、全体としての快適さが高ければ、その不一致によるマイナスを緩和できるということである。
興味深いことに、両方のパートナーが参加したカップルのデータでは、やや異なる結果が示された。具体的には、パートナー間の自己申告による実際の差異を分析すると、それらのずれは関係のウェルビーイングとそれほど強く結びついていなかった。その代わり、これらのカップルでは、実際にどれほど違っているかよりも、自分たちがどれほど違っていると「認識しているか」が最も重要であった。
なぜ身体的な触れ合いは恋愛関係にとって重要なのか
次の点について、2人のパートナーが完全に一致していることは、比較的まれである。
・どれほど身体的な愛情を求めるか
・どのくらいの頻度でそれを求めるか
・どのような形の触れ合いに最も安心感を覚えるか
・どのような状況でそれを表現するのが心地よいか
例えば、一方は日常的な抱擁や、その場その場の自然な接触を好む一方で、もう一方はより意図的で、特定の時間や場所に限った愛情表現を好むかもしれない。こうした違い自体は、本質的に問題ではなく、カップルの不適合を自動的に示すものでもない。
この領域以外でおおむね相性が良く、互いのニーズが満たされ、認識されていると感じられるのであれば、これらの異なる嗜好が無理なく共存できない理由はない。双方が尊重されていると感じ、愛情がそれぞれにとって意味のある形で与えられ、受け取られているのであれば、身体的な触れ合いは対立の原因になることなく、親密さを築く確かな手段であり続ける。
これらの違いが問題になるのは、どちらか一方、あるいは双方が、それを否定的な感情と結びつけ始めたときである。例えば、一方のパートナーが一貫して愛情を求めても、拒まれたり、気乗りしない形で応じられたりすると、その距離感を拒絶や無関心だと解釈し始める可能性がある。それが常態化すれば「自分は愛される価値がない」「魅力がない」などと感じるようになるかもしれない。
同様に、自分が快適だと感じる以上の触れ合いを常に求められていると感じるパートナーも、不満を抱くようになる。罪悪感や憤りを覚え、自分の境界線は重要ではない、あるいは交渉によって踏み越えられるものだと感じ始めることもある。


