経営・戦略

2026.01.19 17:00

「メルセデスF1」を評価額9400億円超へ、トト・ヴォルフの経営哲学と組織改革

トト・ヴォルフ(Photo by Gabriele Lanzo - Gabriele Lanzo/Alessio Morgese/NurPhoto via Getty Images)

トト・ヴォルフ(Photo by Gabriele Lanzo - Gabriele Lanzo/Alessio Morgese/NurPhoto via Getty Images)

F1は現在、Netflix(ネットフリックス)のドキュメンタリー番組などを起爆剤に、米国で熱狂的なブームを巻き起こしている。グーグル、HP、Salesforce、OracleなどIT大手が競うように参入し、チームの資産価値は急騰した。その筆頭格が、評価額60億ドル(約9420億円)を誇る「メルセデスAMG・ペトロナス」だ。

チームを率いるトト・ヴォルフ(53)は、レーシングチームの代表としては異色の経歴を持つ。彼は元来、テクノロジー分野の投資家であり、メルセデスF1の株式33%を保有して自らの資産を賭ける「オーナー経営者」でもある。彼は、「リーダーシップ」という言葉を拒み忌避感を示し、徹底したリスク管理と組織論で常勝軍団を築き上げたという。本稿では、伝統的な自動車レースを巨大なビジネス帝国へと変貌させた男の、常識破りの経営哲学と組織改革の全貌を解き明かす。

従来のリーダーシップを否定し、集団の知恵と人格重視で組織を運営

2025年6月中旬。取材班は、モントリオール・グランプリを終えた直後のトト・ヴォルフのプライベートジェットに同乗し、ブラッド・ピット主演のF1映画のプレミアが開かれるニューヨークへと向かっていた。直前のレースでは、エースドライバーのジョージ・ラッセルが1位、18歳のイタリア人新人キミ・アントネッリが3位に入っていた。

ヴォルフは、メルセデスのチーム代表兼CEOとして率いる。同チームは2021年、前人未到のコンストラクターズ選手権8連覇を成し遂げ、その後も勝利を重ねてグランプリ通算勝利数を131勝まで伸ばしてきた。しかし、F1史上屈指の成功を築いたその当人は、「リーダーシップ」という言葉に強い違和感を覚えていると明かす。

彼の純資産は25億ドル(約3925億円)にのぼる。身長196センチ、オーストリア人であるヴォルフには、いわゆる定型的なCEOのやり方に頼っても不思議ではない条件が揃っている。だが彼は、そうした経営者モデルに依拠することを、はっきりと拒んでいる。彼が確信しているのは、レースは個人競技ではなく、あくまでチームスポーツだという点だ。

「リーダーシップについて話すのは、正直なところ居心地が悪い」と、ヴォルフは雲海の向こうに沈む夕日を眺めながら語る。デニムのシャツにチノパンというカジュアルな服装の彼はその週末、チームガレージのエンジニアリングデスクに座っていた。20基のF1エンジンの轟音と、空気圧式ホイールガンの甲高い音が響く中、58人を超えるエンジニアや技術者とともに作業にあたっていたのだ。チームが見据えていたのは、表彰台に立ち、タイトル争いで前進することだった(メルセデスは2025年のシーズンを、コンストラクターズ選手権2位で終えた)。

「1人のリーダーがすべてを率いるという考え方は、どうしてもなじめない」とヴォルフは言う。「私はチームの一員にすぎない。最終的な判断が必要な場面では私が決断するが、基本的には集団の知恵に頼っている」。

2013年当時、評価額がおよそ1億6500万ドル(約259億円)とされていた低迷期のF1チームを、60億ドル(約9420億円)規模の巨大組織へと変えた人物の言葉としては、意外に映るかもしれない。しかし、ヴォルフが伝統的な上下関係に距離を置くのは、理念的な主張というより、明確な運営上の戦略に基づくものだ。

「すべては人柄と人格から始まる」──傲慢さや謙虚さを欠く態度を排除する採用基準を貫く

メルセデスのF1組織は、イングランドのブラックリーにある本拠地と、同国ブリクスワースのエンジン施設を中核に、約2000人のスタッフを擁する。その採用にあたってヴォルフは初対面から30秒ほどで第一印象を固めるという。「すべては人柄と人格から始まる」とヴォルフは言い切る。過剰な自信は論外で、傲慢さや謙虚さを欠く態度は、その時点で候補から外れる。そうした人物面の条件を満たして、初めて技術的な能力が評価対象になる。

ヴォルフの指揮下で5シーズンにわたりレースに出場した元ドライバーのバルテリ・ボッタスは、ヴォルフの強みについて、「人を見抜く力と、それぞれ異なる人間への向き合い方を理解している点だ」と語る。「人は皆同じではない。より強いプレッシャーが必要な人もいれば、抑えたほうが力を発揮する人もいる」と指摘するボッタスは、ヴォルフが「1人ひとりにとって何が機能するのかを見極めようとしている」と説明する。

守られている安心感とプレッシャーを両立させ、家族の生活まで背負う

ヴォルフ自身は、自分の役割を「守られていると感じると同時にプレッシャーも感じる環境」を作ることだと捉えており、高い成果を生む組織に共通する、その一見矛盾した状態こそが重要だと語る。彼は、このチームを自分の部族のような存在だと考えており、守るべき存在である一方で、目指すべきゴールは明確に示さなければならないと述べている。

ヴォルフが示す基準は明確で、求められるのは常に最高水準であり、「そこそこ良い」状態では許されない。高いパフォーマンスを維持できなくなったり、技術の進化に追いつけなくなったりした時点で、チームに居続けることはできない。

また、その判断は特定の個人だけを見て下されるものではないとヴォルフは説明する。彼は、このチームで働く2000人全員の人生に責任を負っており、「本人だけでなく、家族の生活や暮らしの水準、住宅ローン、将来の夢や希望も含めて背負っている」と語る。

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翻訳=上田裕資

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10年後のリーダーたちへ

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