トム・ミューラーは、スペースXでロケット推進システムの最高技術責任者(CTO)を務めていたという人物だ。彼が2021年に立ち上げた宇宙スタートアップImpulse Space(インパルス・スペース)は、2021年以降に総額5億2500万ドル(約824億円。1ドル=157円換算)の資金を調達し、2025年6月にユニコーン企業(評価額が10億ドル[約1570億円]以上)の仲間入りを果たした。同社は、スペースX出身者が創業した新興企業141社のうちの1社で、スペースX出身者によるユニコーン企業12社のうちの1社でもある。
スペースX創業の原点──イーロン・マスクと社員第1号トム・ミューラーの出会い
2002年1月、イーロン・マスクはロサンゼルスにある倉庫を訪れた。そこで目にしたのは、重さ約36キロのエンジンを肩に担ぎ、ロケットの下部にボルトで固定する男性の姿だった。その人物こそが、当時航空宇宙メーカーTRWに勤めていたエンジニアのミューラーだ。
ただし、その作業は彼の勤務先の仕事ではなかった。ミューラーは週末になると、アマチュアロケットクラブ「リアクション・リサーチ・ソサエティ」に通い、職場では手がけられない新たなロケットの開発に没頭していた。マスクがこの倉庫を訪れたのも、人類が将来火星に移住できるようにする宇宙企業を立ち上げるという自身の構想を、クラブのメンバーに直接語るためだった。
ミューラーがエンジンを下ろす間もなく、マスクは次々と質問を投げかけた。「それは何だ?」「大きなエンジンなのか?」「これまでで一番大きいものは?」と問われたミューラーはためらいながら、TRWで約300トン級の推力を持つエンジンを手がけた経験があると答えた。当時、彼がマスクについて知っていたのは、ペイパルのCEO職を解かれたばかりのインターネット業界の億万長者という事実のみだった。
それでも、2人はその後間もなく意気投合した。同規模のエンジンを一から設計・製造できるかと尋ねたマスクに対し、ミューラーは「できる」と答えた。内心では不可能だと分かっていたのだという。「そういう楽観性と無邪気さこそが、イーロンが求めていたものだった。彼自身も、同じ気質の持ち主だったからだ」と、ミューラーは振り返る。
その翌週のスーパーボウルの日曜日、ミューラーはマスクを自宅に招いた。ロケットクラブの数人の仲間も加わり、そこで後に「マーリン・エンジン」と呼ばれることになる構想が生まれた。その後も打ち合わせを重ね、2002年4月、ミューラーはスペースXの社員第1号として正式に入社した。そして、約20年にわたり、彼はマスクの右腕の1人として同社を支えていくことになった。
現在、そのマーリン・エンジンは、スペースXのファルコン9とファルコン・ヘビーの両ロケットに搭載されている。再使用を前提としたこれらロケットは、打ち上げコストを大幅に引き下げ、打ち上げ頻度を高めることで宇宙産業の常識を塗り替えた。そうした技術革新が、スペースXの評価額を8000億(約125.6兆円)規模へと押し上げ、マスクを純資産7300億ドル(約114.6兆円)という世界一の富豪へと導いた。同社は2026年、評価額が最大1兆5000億ドル(約235.5兆円)に達する可能性のある超大型の新規株式公開(IPO)を実施すると見られている。
この史上最大級のIPOを前に、期待を高めているのは投資家や社員だけではない。初期の宇宙テック分野に資金を投じてきた投資家も、その行方に強い関心を寄せている。「ここからが本当に面白くなる」と語るのは、宇宙分野に特化した投資会社スペース・キャピタルの創業者、チャド・アンダーソンだ。「スペースXの社員が大きな成功を手にすれば、その資金と経験をもとに、新たな起業家が次々と生まれることになる」。



