トランプ時代に入り、ウクライナとアメリカの絆がほころんでいると懸念する向きはどこにでもいるが、そうした人々にとって、ブダノウの揺るぎない楽観論は意外に思えるに違いない。たしかに、彼は現在の立場上、そう言うほかない、ただ外交的に振る舞っているだけだ、と見ることもできる。だが同時に、もし状況が本当に暗澹としたものであるなら、彼の評価はもっと慎重で、歯切れの悪い評価をしたはずだ、と考えることもできるだろう。短い会話の間、彼は曖昧というよりも、本当に楽観しているように感じられた。また、忘れてはならないのは、ブダノウが長年にわたり、米国の諸機関と密接なやり取りを重ねてきた人物であることだ。彼は事情をよくわかったうえで発言している。
ブダノウはこう言った。「米国との関係はウクライナにとって、現在も将来もきわめて重要です。ただし、これは今後数十年にわたる多段階のプロセスです。われわれは国家として、米国の方向に進むという文明的な選択をしました。この関係は貿易や共同開発、通信・情報、その他いろいろな面で、短期的にも長期的にも双方に利益をもたらすはずだと、われわれは理解しています。かつて、ウクライナが世界有数の工業国だった時代がありました。われわれはその地位に戻ることができます。失ったものを取り戻す時なのです。それがわれわれのビジョンであり、決意です。われわれはそれを成し遂げられると、わたしは楽観しています」
政治の世界へ徐々に足を踏み入れているブダノウは、政治的配慮の必要によって制約されている面もあるのかもしれない。しかし、饒舌ではなくても、彼の率直で粘り強い性向を過小評価すべきではない。彼は、ウクライナ国民がいま求めているのは誠実さと結びついた透明性だということもわかっている。ブダノウは、戦争という炉で鍛えられ、苦難を通じて誠実さを身につけてきた人物のように映る。稀有な存在であり、現実に裏打ちされた理想主義者だ。愛国者であるのは言うまでもない。
ブダノウは、国の将来がかかったどのような交渉でも、弱さから譲歩するような人物ではない。一方で、もし彼が譲歩するとすれば、それは正しい理由に基づく正しい判断だったと国民は信頼するだろう。彼は比較的若く、その楽観主義や未来志向の考え方がたんなるレトリックではないことも感じ取れる。彼は、情報戦の最前線から戦闘の第一線、さらには交渉の席にいたるまで、現在のウクライナの経験を内側からも外側からも、あらゆるレベルで生きてきた人物なのだ。
ブダノウはロシアについても熟知している。米国が何を望み、ウクライナが何を必要としているのかも理解している。その彼が楽観的であるという事実は、ウクライナ国民だけでなく、わたしたち世界の人々にも希望を与える。


