もっとも、これは戦艦の歴史の後半部分にすぎない。
大型の主力艦はもともと「戦列艦」から進化してきたものだ。戦列艦は、帆船時代に建造された多層甲板の軍艦で、艦隊が縦一列に並ぶ「単縦陣」を組むために開発された。
何を最初の「戦艦」と呼ぶかについては海軍史家の間でも意見が分かれるが、1850年にフランス海軍で就役した専用設計の蒸気動力戦列艦「ナポレオン」とする説がある。その約10年後、フランス海軍は装甲船体の最初の軍艦である「グロワール」を導入し、それに対抗して英国海軍は装甲艦「ウォーリアー」を建造した。
これらを戦艦と呼べるとすれば、それはアイオワ級戦艦とはだいぶ異なっている。1790年代に米議会の承認を受けて建造された米海軍の木造フリゲート艦で、世界最古の現役艦である「コンスティチューション」と、現代のフリゲート艦ぐらいには違っている。
1870年代に英国海軍の戦艦「デバステーション」とその同世代艦が登場するまで、戦艦は帆を備えていた。デバステーションは、米海軍の装甲艦「モニター」で初めて採用された砲塔も搭載しており、この点でも軍艦の設計で新時代を告げる艦だった。
19世紀後半を通じて、戦艦の設計は新たな技術を採用しながら進化していく。舷側砲列は砲塔に取って代わられ、20世紀初頭までに戦艦のサイズも巨大化した。
ドレッドノートの登場は、戦艦設計の革命的変化を画するものだった。とはいえ、それまでの戦艦すべてを時代遅れにしたこの艦が、第二次大戦期の巡洋艦よりも排水量が少なく、主砲として12インチ砲しか装備していなかった点は思い出しておくべきだろう。
アイオワとその3隻の姉妹戦艦は16インチ砲を装備し、大和は九四式46センチ(18.1インチ)主砲9門を備えていた。これらの巨砲は圧倒的だが、先に述べたとおり、その戦艦同士が大規模な砲戦を繰り広げる光景は見られなかった。
大和は1945年4月、米軍の空母艦載機によって撃沈され、海底に眠っている。アイオワは、カリフォルニア州サンペドロで浮体博物館として保存されている。


