映画

2025.12.28 13:45

人間が「人間そっくり」を愛するとき|「A.I.」「惑星ソラリス」

Bo Dean / Adobe Stock

そうしてみると、「人間が同じ人間に向ける愛と、人間そっくりの対象に向ける愛」に、違いはないのではないか。つまりそこには、責任感も罪悪感も喪失感もつきまとうことになる。

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ここで想起されるのが、ソ連時代のSF映画の名作『惑星ソラリス』(アンドレイ・タルコフスキー監督、1972)である。原作は、ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムが1961年に発表した『ソラリス』(『ソラリスの陽のもとに』は当初ソ連の検閲を恐れて削除されたロシア語版の邦訳で、2015年に完訳『ソラリス』が出版された)。映画は、冒頭に原作にはない地球での場面がかなり長くとってあり、ラストも異なっている。

知性生命体である謎の海に覆われた惑星ソラリスの観測宇宙ステーションに、心理学者クリス・ケルヴィンが送り込まれる。スナウトとサルトリウス、二人の科学者が残っているステーションは荒廃しており、学者の一人ギバリャンは直前に自殺、また存在しないはずの者の姿が見え隠れする。ソラリスの海は人の記憶の中から良心の呵責を読み、そこに発見された像をコピーし物理的な実体のあるものとして現実空間にフィードバックしてくるのだ。

クリスの前にもさっそく、10年前に自殺した妻ハリーが現れる。外見はハリーそのものでクリスへの愛も保持しているが、その「身体成分」は人間ではない。恐怖に駆られたクリスはハリーをロケットで宇宙に打ち上げるが、彼女は再び出現する。ソラリスの海が読み取っているのは、クリスの心の中に固着したハリーの自殺に対する罪悪感と強い悔恨である。

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やがて彼は、虚像としてのハリーを生きている妻のように愛し始める。はたから見ればそれは、生前の妻に対する罪悪感を妻のコピーへの愛で相殺しようとしているに過ぎない。だが同時にここには、失われた愛の対象がリアルな相で出現した時、それを単なる物質の塊として扱うことは難しい、という人間の抜き難い性が立ち現れている。

原作が書かれ映画が作られた1960~70年代初頭は、人工知能の研究が始まったばかりの頃だが、現在の視点からすると、ソラリスの海は明らかに高度に発達した生成AIを思わせる。ただしそれは、『A.I.』で描かれた愛情ロボットのような人間にとって都合のいい人工知能ではなく、その逆に、人間が意識の中に押し込めていたものを白日のもとに引き摺り出してくるような知能である。

映画ではこの引き摺り出された対象によって、愛と良心の呵責が人間の中で深く結びついていることが示されていた。ギバリャンが自死を選んだのは、その事実に耐え続けることができなくなったからだ。だがおそらくそれこそが、人間を人間たらしめているものである。

科学技術の飛躍的な発展が始まったこの時代、タルコフスキー監督はそこから漏れてしまう「魂」の問題を問おうとした。ソラリスのサイバネティクス研究者であるスナウトの、「我々には別の世界は必要ない。我々に必要なのは鏡だ」という言葉が示唆的だ。

AIに集積される情報は現在、人間の需要・関心と緊密に結びついている。現実に、我々が日々ネット上で目にする広告や「おすすめ商品」は、個々のユーザーの需要・関心を反映するものだ。

もしAIがそこから逸脱、発展し、ヒトの隠された感情や欲望や深層心理を学習し、それらを組み込んだフィードバックをしてくるようになったら、我々の感情生活は不可逆的な影響を被るに違いない。それは常に「鏡」に囲まれているような状況である。しかし本当に恐ろしいのは、そんな事態が到来したとしても、我々はその環境に慣れていくかもしれないということだ。

文=大野左紀子

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