経営・戦略

2026.01.08 13:30

水木しげると知財戦略:川村雄介の飛耳長目

水木しげる氏の作品は含意に富む。そのひとつが1967年の週刊少年マガジンに掲載された「さら小僧」である。おなじみの『ゲゲゲの鬼太郎』シリーズだ。まったく売れない歌手が、ある日、沼沢地を通りかかると、どこからか妙なる歌が流れてくる。リズムが素晴らしい。思わず体が踊りだす。蛙や草木もスイングする。彼は慌ててこれをメモ帳に写譜した。早速バンドを結成し歌唱化すると空前のヒットになった。ライブ会場は常に超満員で、テレビ、ラジオにも引っ張りだこだ。

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そんなある夜、この男の家をノックするものがあった。ドアを開けると、沼に棲むさら小僧と仲間の妖怪たちだった。件の歌はさら小僧のオリジナルであった。自分の歌を盗まれた彼は激怒していた。権利侵害も甚だしいと、男を「隠れ里」へ連れ去った……。

知的財産権の保護と活用は企業経営、特にグローバル展開の重要戦略になっている。早くからこれを推し進めていたのが米国である。競争政策との兼ね合いで親パテントと反パテントの動きが循環的に繰り返されてきたが、連邦特許法が制定されたのが1790年、日本では蔦屋重三郎や山東京伝が風紀紊乱でおとがめを受けたころだ。

ワシントン出張の折、米国の姿勢を象徴する文言を商務省の玄関脇に見た。「特許制度とは才子の焔に利得の油を注ぐものである」。発明家でもあった第16代大統領リンカーンの言葉だ。

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これを体現した好例がゼロックス社である。私の新入社員時代、上司からの最初の指示が「これを5部ゼロックスしてくれ」だった。ゼロックスはコピーと同義だったのである。同社は1960年、世界最先端の電子写真方式で普通紙へのコピーを可能とし(PPC方式)、世界市場を席巻していた。その強さを盤石にしていたものが特許戦略であった。周辺技術を含めて600件余りの特許を取得し、向こう20年は同社のPPCを超える技術は現れまい、と言われるほど鉄壁の特許防衛体制を敷いた。これに抵触して高額の和解金を支払う米国企業も出ていた。

こんな特許の要塞に挑んだ日本企業がある。当時カメラを主業としていたC社である。多角化を進めようとしていた同社にとっては魅力的な分野であったが、いかんせんゼロックス社の壁は厚い。無謀だという声も大きかったが、経営陣は挑戦を決意した。技術陣と特許部門が一体となってプロジェクトを進めて、新たな電子写真方式(NP方式)を特許出願、1967年には特許公告に漕ぎつけた。同社の株価は1週間で50%の値上がりを示した。70年にはこれを製品化したが販売実績は振るわなかった。そこで新製品開発に注力、72年発売のNP-L7は高性能・低価格でベストセラーになった。ついにゼロックス社の牙城が崩れた。同社はC社を特許侵害で訴えたが、C社はNP方式を守り抜いた。こうしてC社の知財戦略の基礎が構築された。今日、C社は特許取得数の多さで世界に知られる。

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文=川村雄介

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