マクロ経済政策が力不足な理由
次に注目されるのはマクロ経済政策である。古典的な経済学では、物価上昇の圧力を抑える主な手段として、金融の引き締めが挙げられている。しかし、FRBは引き締めではなく、むしろ金利を引き下げる緩和方向に向かっている。
さらに、FRBはアフォーダビリティ以外の優先事項も抱えている。彼らが「準備金管理購入(RMP)」と呼ぶ現在の運営枠組みは、短期国債を購入し、それを利息の付く準備預金と交換する仕組みに依存している。この体制では、利息の付く公的債務同士を入れ替えているに過ぎないため、従来のような金融政策による効果は限定的となる。
残る手段は財政政策だ。財政赤字が大きく拡大し、債務が国民所得より速いペースで積み上がると、調整の一部は物価水準にしわ寄せされる。国債の新規発行ペースを鈍らせ、時間をかけて減らしていくことは、長期的な物価安定を達成するためのアンカーとなる。構造的な赤字を縮小するための信頼できる計画は、期待を安定させ、その結果として物価の安定にも寄与する。
しかし、本格的な財政赤字の削減は政治的に実現が難しい。イーロン・マスクが率いる政府効率化省(DOGE)は、意味のある歳出削減を見いだすのに苦戦した。議員たちは、国家を持続可能な財政軌道に乗せるために必要な痛みを伴う選択を避けがちだ。国民がより高いアフォーダビリティを求める一方で、それを実現するための出血を伴う政策には強い抵抗感がある。
さらに、仮に財政規律が確立されたとしても、インフレと賃金の関係は問題を複雑にする。賃金は時間とともに物価に連動する傾向がある。そのため、インフレを抑えれば名目賃金の伸びには下押し圧力がかかる。最近の局面がやや不可解なのは、インフレが急上昇したにもかかわらず、賃金も同時に上昇した点にある。こうした不満の一部は、労働市場に内在する調整の遅れを反映しているのかもしれない。また、測定誤差や、分野・産業ごとの違いを反映している可能性もある。しかし、多くの家庭の「感じ方」そのものがアフォーダビリティ問題の核心である可能性がある。彼らはインフレ前の世界を鮮明に覚えており、新しい基準点がいまだ「標準」だとは感じられていないのだ。
欠けている要素は生産性である
賃金が高くなった物価水準に追いついていないとすれば、最大の問題は生産性にあるのかもしれない。生産性の停滞は賃金上昇を抑え込み、その過程で政府も静かな役割を果たす。政府支出が拡大すると、同じ産出量を生み出すためにはより多くの投入を必要とする経済構造になりうる。政府が支出を抑え、より効率的に配分すれば、経済全体の生産性は高まり、結果として賃金上昇を通じてアフォーダビリティへの圧力が和らぐ。
同様に、企業が新たな資本に投資すれば、労働者1人当たりの時間当たり産出量が増え、長期的には実質賃金の上昇を支えることなる。民間投資が増えれば、賃金は高くなった物価水準に追いつきやすくなるが、そのためには長期投資を報いる政策環境が必要であり、投資を締め出すような状況では逆効果となる。ここでも、政府支出の削減は、資本投資に回る貯蓄を解放し、持続的な賃金成長の条件を強化する助けとなる。
ただし、これらはいずれも容易ではない。平均的な米国人は、政府の支出水準と食料品価格を自然に結びつけて考えることは少ない。そのため、支出削減の提案は抽象的あるいは無関係に聞こえ、支持を得にくい。どのプログラムにも支持層が存在する。生産性向上のために支出を削減するには、短期的な政治的圧力に抗う覚悟が必要だが、近年の政権はいずれも、そのような規律をほとんど示してこなかった。


