遺伝子は、こうした反応にも影響を与えている。免疫シグナル、痛みの経路、組織の回復に関する変異がすべて合わさって、とてつもない長距離を走るという、「制御されつつも身体を痛めつける運動」に対する反応が決まってくる。
とはいえ、この分野の研究は始まったばかりだ。今の時点で確証を持って言えるのは、かなり過酷に思える同じ距離を完走したとしても、人によって、次の日に感じることはかなり違う可能性があるということだ。また、エビデンスからは、こうした違いの少なくとも一部は、私たちが持つ生物学的な特質によって決まってくることが示唆される。
エネルギーの消費量も、重要な要素だ。『Human Kinetics Journal』に掲載された研究によると、一定のペースで走るランナーが燃やすエネルギーの量は、四肢の長さ、腱の硬さ、筋肉と腱の構造、そして神経と筋肉の間の調整能力によっても異なってくる。特筆すべきは、これらの形質にはすべて、ある程度の遺伝的要因があることだ。
ここまで挙げてきた、さまざまな身体の働きに関する細かな違いが合わさって、エネルギーを無駄使いしてしまうか、効率的にリサイクルできるか、という違いが一歩ごとに生まれ、それがウルトラマラソンへの耐久性につながるわけだ。
それでも「環境とトレーニング」が重要な理由
ここで指摘しておくべきは、ここまで説明してきたようなさまざまな遺伝子の込み入った仕組みがあるとはいえ、こうした形質が、人間の代わりにレースで走ってくれるわけではない、という点だ。走るには、トレーニングが必要だ。何年もかけて、徐々に距離を伸ばしていくなかで、ランナーの筋肉や心臓、代謝の仕組みが再構築される。トレーニングを続けることは、1つの遺伝子よりも、はるかに大きな変化の要因になる。
そしてもちろん、心の問題がある。ペースの維持、モチベーション、感情の制御、さらには、疲労などの不快感を受け入れようとする心の動きなどが、他のどんな要素よりもものを言うケースは多い。
そしてこれらの要素は、経験や指導、コミュニティ、ランナー自身の経験の影響を受ける。つまり全体で言えば、ウルトラランナーに備わる「やり抜く力」は、1本のDNA鎖に帰されるほど簡単なものではないということだ。それはまさに、何千時間ものトレーニングと、長期にわたってつらい思いと向き合ってきた経験によって、苦労の末に時間をかけて培われていくものなのだ。


