「資源を巡る争いをなくしたい」
ここで少し、豊田とデジタルグリッドの歩みを説明しておきたい。社名に使っている「デジタルグリッド」という言葉は、08年に東京大学大学院工学系研究科の阿部力也特任教授(当時)が開発した“電力の可視化システム”の総称だ。豊田は元々、阿部の研究室に所属する大学院生だった。デジタルグリッドを活用すれば再生可能エネルギーを含む電力の需要と供給を精緻に予測できるという構想に、当時の豊田は魅せられていた。
とはいえ、大学院を修了する時点では、デジタルグリッドは構想の域を出ていなかった。豊田は就職の道を選び、ゴールドマン・サックス証券などで経験を積んだ。その後、創業メンバーに声をかけられて同社に参画した。18年のことだ。
入社し1年が過ぎたころ、会社の運転資金が底をついた。当時、デジタルグリッドには40を超える株主がいた。経営方針説明会では株主から「いったい何億のお金を溶かしたんだ!」と怒号が飛んだという。プロダクトとサービスは実証段階にある。ここで数億円を集められなくては、すべてがついえてしまう。絶体絶命のピンチで豊田が選んだのは、自ら社長になって会社を立て直す道だった。
「プロダクトを世の中に生み落とせれば世界が変わる。ワクワクする未来が待っているという自信だけはあった」
「ノウハウだけもち出して、新しく会社を起こそう」。そうささやいてくる大人もいた。それでも豊田の信念は揺らがなかった。最悪、自己破産すればいい。人生で初めて芽生えた「不退転の覚悟」だった。
従業員を整理解雇し、家賃の支払い期限の交渉などを行いながら株主探しに奔走した。だが、進んで泥舟に乗ろうとする人はいない。当然、断られる。破産申告まで残り1週間というところで、ようやく追加投資が決まった。まさに「首の皮一枚」のところで、デジタルグリッドと豊田の生命線がつながったのだった。
「給与が支払われるかもわからないなか、当時の社員たちは業務委託のような立場でそれぞれの仕事を継続してくれた。みんなが持ち場を守ってくれたからこそ、私たちはつぶれずにすんだのです」
18年4月にP2P電力取引実証事業を実施し、19年11月には資源エネルギー庁から電力取引運営の許認可を取得した。20年2月には悲願だった電力取引プラットフォーム「DGP」を正式にリリースした。
IPOを経た今も、荒波にもまれているのは変わらない。それでも揺るぎない覚悟を見せる豊田。根底にあるのは「エネルギーの民主化を通じて、資源を巡る争いをなくしたい」という強い思いだ。
「僕らの子どもたちや孫の世代には、戦争ではなく人間らしいことに時間を使ってほしい。それには世の中をアップデートする必要があります。デジタルグリッドで、再エネを中心に誰もがエネルギーを自由に使える世界をつくりたい」
豊田祐介◎2012年に東京大学大学院工学系研究科を修了後、ゴールドマン・サックス証券に入社。為替・クレジット関連の金融商品の組成・販売、メガソーラーの開発・投資業務を担当。16年よりインテグラルにてPE投資業務を行い、18年2月にデジタルグリッド創業に参画。19年7月2日から現職。
デジタルグリッド◎2017年設立。電力および環境価値取引プラットフォーム「DGP」(デジタルグリッドプラットフォーム)の運営や、分散型電源のアグリゲーションサービスを手がける。25年7月期の連結売上高は61億5300万円。


