エスカレートした要求
TDバンクの広報担当者は、この件の個別事例についてはコメントを控えた。一方で、メールで寄せた声明の中で、「少しでも不審に思える連絡を受けた場合は、直ちに通話を切り、カード裏面の電話番号、公式サイトに掲載された電話番号、または安全なTDバンキングアプリなど、既存の正式な手段を通じて当行に連絡するよう、顧客に助言している」と説明した。
日が経つにつれて出金は増え、ラリーの不安も強まっていった。それでもライアンは、「年内にはすべて終わる」と繰り返し、自宅に会計士を派遣して書類を確認するとも説明した。しかし、約束された期限は守られないまま、年が明けても要求は続いた。
やがてラリーは、「完了は4月になる」と告げられた。だがその前に、「もう一つやるべきことがある」とされ、金(ゴールド)を購入するよう指示された。ラリーは10万ドル(約1560万円)分の金貨を購入し、自宅に配送させた。その後は金の延べ棒も注文した。いずれも、場所を変えながら駐車場で「捜査官」を名乗る人物に手渡した。米連邦捜査局(FBI)は、後の調査でこの「捜査官」が詐欺の内容を知らされていない雇われの運転手だったと結論づけた。
4月、ラリーは電話の相手に「これ以上は続けられない」と伝えた。夫妻はケニアでの慈善活動を目的とした海外渡航を控えており、帰国する頃にはすべて解決していると約束されていたからだ。しかし、米国に戻ったラリーが携帯電話の電源を入れると、「政府専用の暗号化アプリ」だと説明されていたWhatsAppのアプリが、端末から消えていた。
後にFBIは、「ラリーの携帯電話は盗聴されていた可能性が高い」と結論づけた。詐欺師らは、通信を傍受することで、ラリーの居場所や会話の相手を把握し、自分たちが政府関係者であると信じ込ませていたとみられている。
ラリーは、ライアンが所属していると信じ込まされていたFTCに慌てて電話をかけた。「ライアンにつないでほしい」と頼んだが、案内されたのは詐欺被害の通報窓口だった。ラリーは当初、通報することをためらった。だが最終的に、担当者からこう告げられると、受け入れざるを得なかった。「クックさん、こんなことはお伝えしたくありませんが、ライアンという人物は存在しません」
終わらない「問題」
ラリーはその後、米連邦捜査局(FBI)に連絡した。捜査官らは自宅を訪れ、関連資料を確認したうえで、携帯電話とコンピューターを押収した。
しかしその直後、夫妻はさらに大きな試練に直面する。バーバラに肺がんが見つかったのだ。渡航先のケニアで背中を痛め、検査を受けたところ、X線画像で腫瘍が確認されたという(現在は治療を受けており、病状はコントロールされている)。一方、ラリー自身も、網膜に障害が生じて視力が低下する加齢黄斑変性と診断され、文字を読むことが難しくなった。
それでも夫妻は、信仰をよりどころに日常を保ち続けた。2人にとって、それは特別なことではなかった。10代の頃、ペンシルベニア州のバールホーム・バプテスト教会で出会い、15歳で交際を始めた夫妻は、常にそうして生きてきたからだ。結婚生活は61年に及び、2人の息子、6人の孫、4人のひ孫がいる。現在も地元の教会でボランティアを続け、ラリーは牧師として、バーバラはピアニストとして活動している。


