くるま:何かきっかけはあったのですか。
朝井:明確にはないんですけど、私は「作家としての自分」と「人間としての自分」に距離があるタイプで、むしろそれが美徳みたいに捉えてきてしまったんです。私より下の世代はその距離が近いように見えます。その人の人生から発せられるパワーが作家としての言葉の強さにも表れていて、すごくいいなと。
くるま:僕は一致していますね。
朝井:それこそ「30 UNDER 30」の方々も一致している印象です。金原ひとみさんの『YABUNONAKA−ヤブノナカ−』は、ある作家がその距離をなくしていく物語で、とても考えさせられる結末でした。一方、ダガー賞を受賞された王谷晶さんの「私が暴力を描けるのは世界が平和だから。ひとりの人間として平和を願っている」という内容のスピーチを聞いて、距離を取って切り分けているからこそ書けるものがあるということも再認識しました。
結論は出ていませんが、この問題を考えるにつれて、どちらにしてもひとりの人間としての人生から逃げてはいけないんだ、と思ったんですよね。
──26年のエンタメ界の注目テーマは?
くるま:僕はM-1という船から降りた途端にコンテンツに触れる頻度が減りました。以前まではネタのヒントにするために触れていたんです。今は代わりに、もっと身近なものに関心が向いています。例えば料理とか……。
朝井:料理研究家のリュウジさんとのラジオを聴きました。怖かったです。
くるま:カルボナーラのレシピの話ですね。第一段階はベーコンからつくるんだけど、次は豚バラのパンチェッタにして。でも本場のイタリアは豚頬肉のグアンチャーレを使ってるからそれを試したくなって。ただ豚コレラで輸入が厳しいとなり、「レシピに卵を使うなら、豚より鶏が相性いいかも」と、結局グアンチャーレに脂の質が近いぼんじりでカルボナーラをつくったと。
朝井:リュウジさんも最終的に引いてましたよね。印象的だったのは、途中で豚コレラの話が出てきたこと。狭い世界でひとつのものを追求していても、それを続けていくと途中で世界情勢や歴史など、広い世界と連結する瞬間がやってくる。それは本来、小説が得意としていたことのひとつだったなと気づかされました。
ひとりの人間としてはどんな分断にも橋を架けたいと思いつつ、ひとりの作家としてはひどく極端なものを書きたい思いがあるんです。というのも、さっきのカルボナーラの研究が豚コレラにぶつかったように、手のひら全体で押すよりも一本の指で押したほうが別世界に繋がるまで穴を掘れる気がするから。分断された世界もある一点を掘り続ければ、最後はマントルまで到達して全員の土台に辿り着く。26年以降は、「貫く系のエンタメ」がさく裂して分断を乗り越える現象に期待しています。読者と強制的に一対一になる小説は、特に有利な気がするんです。


