庵野:AIにできないことって、映像に関してだけですけど、ジャッジメントなんですよね。トライアンドエラーで、そのうち一晩でパターンが300とか400とか出てくると思うんですけど、じゃあこのなかのパターンのどれがいいですかというのは、AIには選べないですよね。そこだけは人間がやる。AIが進化して、すべての映像をつくれたときに残るのはプロデューサーとディレクターだけだと思っています。作品にお金を出す人と、作品に最終的に「これでいいよ」って言える人。このふたりしか残らない。
山崎:絵がわかる人しかいい指示が出せないから、ジャッジメントというのは本当にその通りで、いい判断を人間がしないといい作品はつくれない……はずですけど(笑)。
庵野:ディレクターまでAIになったら僕はプロデューサーで食っていくしかない(笑)。そこまではなかなか難しいと思うんですが、でも最後は「責任」。プロデューサーもディレクターも責任を取るのが仕事だから、AIがつくった作品に責任が取れるかっていうだけですよね。観るのがAIだったら問題ないんですが、人間なので。映像を観る人間に対して、その映像の責任を取る人は必要です。すべてをAIがやっても、そこだけは残るかな。人間がいる以上、というか、お客さんがいる以上。観客に対して責任を取る人と、出資者に対して責任を取る人はどうしても必要ですから。
——おふたりは『ゴジラ』シリーズをはじめ、日本でも古くから愛されてきたレガシー作品に、新たな価値を見いだしてつくり直す、ということを多くされておられます。その面白みや苦労について聞かせてください。また、逆に超ミニマルな作品をつくるとしたらどんな作品をつくりたいですか?
山崎:庵野さんは自分のIPも、両方やっているから本当にすごいですよね。
庵野:ありがたいですよね。他については、先人がつくって、自分たちの血肉になってしまっているものを、僕は引き継いだ感覚で、あとに残そうとしているだけです。今やっているのは恩返しと、文化的な作品の継承——これはあとまだ何十年も残るべきという作品はやはり残したい。あと、アニメ業界や映画業界にも、そういう作品が残り続けることはいいことだと思います。次にどう残せるか、ということをやっている。それはなかなか理解されないんですけど。人様のIPを預かる以上は、作品としても商品としてもかたちになって、それがレガシーになるように頑張っているだけです。
山崎:そうですね。放っておくと消えていってしまうから、新しいやり方、新しい見せ方にすることで子どもたちにも届いて、ある一部の人だけではない、広い層に届けることができればいいな、と思っています。強くもっているのは、僕らがワクワクした感覚を今の子どもたちにも味わってもらいたい、という気持ちです。強度のあるIPだったらそれができるわけですし。同時にものすごくおっかないもので、本当にたくさんの、昔からのファンもいるので、その人たちに納得してもらうのはとても難しいことでもあるし、怖いことでもあります。でもそんな機会をもらえたら、それはもちろんやりますよね。子どものころの自分に伝えたいですよ。「オレ、ゴジラやるんだよっ」って。自分の好きだったものに携われるのはいちばんの喜びです。そして、できればその事業自体を伸ばしていきたい。そういう価値のあるものだから。自分の子どものころにワクワクしたものは、どの時代の子どもたちもきっとワクワクしてくれるだろうなと思います。


