じつは、その前から、アメリカのどこかの研究室から同じ論文が出るらしいという話は耳に入っていました。それで、私は大急ぎで論文を仕上げて発表したのです。
私たちとトムソン教授の論文は、別の科学雑誌に掲載されました。雑誌によってインターネットで公開される日が決まっていて、私たちのほうが1日早く公開されることに。本当にタッチの差で、競争に勝つことになったのです。
論文が公開される1週間ほど前に、私のもとにトムソン教授から1通のメールが届きました。そこには次のように書かれていました。
「競争に負けたのはくやしいが、負けたのがシンヤでよかった」
このとき私は、とても清々しい気持ちになりました。
ところが、フタをあけてみるとトムソン教授の論文を掲載する雑誌が、公開日を1日早めたことで、私たちと同じ公開日になったのです。科学における競争の熾烈さを実感した経験となりました。
いま悪いことも、あとでよいことに変わる
アメリカから帰ってしばらくしたころの話です。PADにかかり、何もかもがうまくいかず、研究者の道も半ばあきらめかけていました。臨床医にもどったほうが世の役に立つのでは、と思うようになっていたのです。しかし研究者をめざし家族とともに留学までしたわけですから、なかなか踏み切りがつきません。そんなとき、ちょっと不思議な出来事がありました。
住んでいたマンションの近くで、土地が売りに出されているのを知ります。それを見たときに、「よし、この土地を買って家を建てよう」と思い立ちました。
一般的には、大学の研究者より臨床医のほうが給与は高い傾向にあります。銀行からお金を借りてローンを組み、お金を返し続けるようになることを臨床医にもどる言い訳にしようとしたのです。
不動産屋で手付金を支払って、あとは本契約をするだけという日の朝、母から電話がありました。
「昨晩、亡くなったお父さんが夢に出てきて『伸弥に土地を買うのをやめさせてくれ』と言っていた」と言うのです。
年老いた母の言うことですし、私も気になったので、不動産屋に電話をかけて、あと1日、契約を待ってもらうことにしました。すると、その日の夕方に不動産屋さんから電話がありました。
「すいませんが、あの土地は売れてしまいました」
すんでのところで、私はその土地を買うことができませんでした。そのときはとてもがっかりしましたが、あとから思えば、もしあのときに土地を買っていたら、私は研究者をやめて医者にもどっていたでしょう。そうなっていたら、その後のiPS細胞の研究もノーベル賞受賞もなかったに違いありません。
もしかしたら父が、私が研究者を続けるよう助けてくれたのかもしれません。


