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2025.12.28 10:15

三浦瑠麗「いちばん楽しいのは、女同士で新しい料理のはなし」手料理がリハビリになる理由

撮影=上野裕二

撮影=上野裕二

忙しさに追われ自分の時間を見失ってしまう。心の疲れを感じる人は少なくありません。国際政治学者の三浦瑠麗さんは、どんなに忙しくても週末に軽井沢の別宅を訪れる生活を欠かすことはありませんでした。10年続けている二拠点生活で見つけた心のリハビリとは? 三浦さんの新刊『心を整える時間—軽井沢のくらし12ヶ月』(あさま社)より一部抜粋・再編集してお届けします。


どんなに忙しくても週末の軽井沢を訪れる理由

そもそも、くらしとはいったい何なのだろう。くらしには繰り返しの要素がある。くらしには自己表現と美意識が含まれているように思うが、絵画作品などの芸術とは違って、くらしには何かを打ち破るということも、限界値まで目指す必要もない。つまり、こうした表現でなければならなかったという必然性がそもそも存在しないのではないかと思う。

人は自分が手をかけたもの、自分の世界に属するものを愛する。それは「こうしてきた」ということの積み重ねであって、手放すことがつらいものである。わが家がいちばん、というその感覚。それは、進歩がないということを意味しない。くらしに支えられてはじめて人は自己表現や内面の探索ができるからだ。世の中にはさまざまなくらしがある。手仕事の多いくらし、都会的なくらし、毎晩のように踊り明かす、飲み明かすというくらしもあるだろう。わたしが週末の軽井沢ぐらしを選んだのは、ほどほどに外部の刺激を必要とし、かつ自らの内面の奥深くに降りてゆくタイプの創作活動をしたいからだと思う。

枯野が広がる早春の風景の中に、真っ青な空を流れてゆく白い雲に、自らのこまごまとした生活の要素を加えることで、遠近を行き来する。朝ごはん、お茶、夜ごはん、就寝と、決まりきった出来事で区切られた生活が、日々のわたしの活動を支えている。もしもどこかに閉じ込められたならば、当たり前の生活が奪われたならば、人間には音楽や夢想が必要となるだろう。わたしなら物語を書くかもしれない。

自分の周りに新たな世界を築き、それへの愛着を結ぶことを必要とするからだ。そのくらい、人はただ自己を生かすというだけでは己を持て余してしまうのである。

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文=三浦瑠麗

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